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「砂糖菓子」と言ってしまえない深み~映画「アイミタガイ」 [映画時評]

「砂糖菓子」と言ってしまえない深み
~映画「アイミタガイ」


 相身互。または相見互。同じ境遇や身分の人が、互いに同情し合い、また助け合うこと。また、そのような間柄(小学館「国語大辞典」)。

 映画「アイミタガイ」は二つの特徴を備える。いくつかのエピソードをつないで進行するが、悪人もしくは悪意が介在しない。スパイスのきかないカレーライス、もしくは甘いだけの砂糖菓子のようなもの、と言ってしまうこともできる。その点をどう評価するか(映画の登場人物が「善人ばかりの小説は嘘っぽく見える」というシーンがある)。もう一つ、出てくる人物が必ずどこかでつながっている。その場限りの関係性に立つ人物はいない。閉じられた円環。なぜこのような設定が考え出されたか。

 ウェディングプランナー秋村梓(黒木華)は交際中の小山澄人(中村蒼)との結婚に踏み出せないでいた。離婚した両親のことがわだかまっていたためだ。そんな折、親友のカメラマン郷田叶海(藤間爽子)が海外で事故死したことを知る。叶海の両親の朋子(西田尚美)と優作(田口トモロヲ)に戻ってきた遺品のスマホには、多くのメッセージが未読のまま残っていた。ある児童施設からは子供たちの感謝のカードが届けられた。
 梓の叔母・稲垣範子(安藤玉恵)は、90歳を超える小倉こみちの家でヘルパーをしていた。3歳のころからピアノを習ったという彼女の演奏を聴き、範子は梓に依頼されていた結婚式場での演奏を仲介する。

 ここから、ドラマは予想外の深みを見せる。こみちは範子と梓を前に、依頼をきっぱりと断る。人前で演奏することの魅力に勝てず、かつて学徒出陣で弾いたことをあかし「もう私には人前で弾く資格はないんです」。梓はこみちの家のたたずまいにまつわる思い出を語る。中学生のころいじめにあい、叶海と二人この家の前に来た時、流れていた音色。それが、自分には大きな励ましだった…。

 「叶海がいないと前に踏み出せないよ」と梓が送ったLINEを見た朋子は「踏み出しなさい」と叶海に代わってメッセージを送る。こみちは式場で、見事な演奏を見せる。児童施設を定期的に訪れていたことを知り、叶海の両親は彼女の保険金を施設に寄付する。偶然と思われた出会いの一つ一つが、丹念に回収されていく。

 冒頭の二つの問い。砂糖菓子のような、と言ってしまえない深さとリアリティを、この映画は備える。もう一つ、閉じられた円の中の人間関係。人はだれかを思いやれば、必ずその答えは返ってくるという社会観、人生観を追求したかったのだと思う。
 2024年製作。監督草野翔吾。


アイミタガイ.jpg


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