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死者の無念を背負って~映画「十一人の賊軍」 [映画時評]

死者の無念を背負って~映画「十一人の賊軍」


 進化と正義について考える。生けるものは、環境への適応力があるほど生き延びる。適応できなければ死滅する。こうして淘汰を繰り返し、形を変える。これを進化という。進化は善であり、正義であるとする考え方がある。しかし、人間は時として新しい環境への適応=進化を選ばない。敗者の側に立つ。なぜか。死者の無念に思いを致すからだ。
 「死者よ来たりて我が退路を断て」。大学闘争が燃え盛ったころ、ドキュメンタリ映画につけられたタイトルだ。もとは日大のバリケード内に書かれた言葉と記憶する。あまたの死者の無念を背負って闘うがゆえに、我に退路はない。思想にはエートス(倫理)が必要だ。そんなことを思わせる。

 「十一人の賊軍」は、幕末から明治に至る戊辰戦争に想を得た。薩長土肥で構成する新政府軍(官軍)と、江戸幕府・奥羽越列藩同盟軍が戦った。越後の小藩・新発田藩が映画の主な舞台である。奥羽越列藩同盟といえば、ガトリング銃で戦った長岡藩の河井継之助が知られる。河井は会津に敗走中、傷が悪化し亡くなった。同盟の軸である会津へは、越後からの交流ルートがあったと考えられる。新発田はその玄関口だった。小藩だが、新政府軍にとっては要衝だった。

 新発田藩主・溝口直正は幼少で、陣頭指揮を執る力がなかった。家老の溝口内匠(阿部サダヲ)は一計を案じる。同盟軍につくと見せかけて新政府軍の動きを止める。そのための格好の砦がある。急遽駆り集めた政(山田孝之)ら囚人10人を向かわせ、戦わせる。藩の軍勢を使えば後戻りできなくなるからだ。囚人たちには、戦いが終われば無罪放免と告げた。見張り・統率役として藩から鷲尾平士郎(仲野太賀)、入江数馬(野村周平)が送り込まれた。
 山縣狂介(玉木宏)を頭とする新政府軍との血みどろの戦いが始まった。溝口の娘・加奈(木竜麻生)と恋愛関係にあった入江は重傷を負い、死亡する。
 家老の溝口はこの後、新政府軍へと寝返る。砦の戦いで何人かは生き残ったが、溝口は彼らに銃口を向ける。鷲尾は溝口の裏切りが許せず、怒りの刃を向ける。「俺が11人目の賊軍だ!」と。
 溝口のバルカン的政治手法で、新政府軍に全面降伏した新発田藩は生き延びた。めでたし、めでたし。だがその陰には、入江の後を追った加奈ら無念の死があった。

 2024年製作。監督は「孤狼の血」の白石和彌。原案は笠原和夫。この二人のカラーがにじみ出ている。実話に基づくが、登場人物は名前を変えてある。笠原はかつて「日本侠客伝」などで全共闘活動家の共感を得た脚本家。その地下水脈を感じる。


11人の賊軍.jpg


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