表現者と生きる困難~映画「チャイコフスキーの妻」 [映画時評]
表現者と生きる困難~映画「チャイコフスキーの妻」
平塚らいてう、伊藤野枝が編集長を務める「青鞜」の表紙を手掛けた洋画家・高村智恵子は彫刻家・詩人の光太郎を妻として支える生活に疲れ、精神を病んだ。島尾敏雄が「死の棘」で描いた夫婦の地獄図も妻・ミホの精神を狂わせた。吉本隆明は和子と結婚する際、一家に表現者は二人いらないと俳句をやめさせた。いずれも、表現者と家庭の両立の困難さを物語る。
ロシアの天才音楽家チャイコフスキーには妻がいた。それも世紀の悪妻と呼ばれるほどの。この歴史的エピソードに挑んだのが「チャイコフスキーの妻」である。
映画はチャイコフスキー(オーディン・ランド・ビロン)ではなく、妻アントニーナ(アリョーナ・ミハイロフ)の視点で描かれる。そうすることで、ロシア封建社会の家父長制思想を浮き彫りにする。チャイコフスキー自身が芸術家であるとともにゲイであったとし、二人の関係(=悪妻説)が単純な家父長制=男系社会の産物でないことを明らかにする。
簡単に二人の足跡を追う。1877年に結婚。女性に関心がないチャイコフスキーに一方的なアプローチの末だった。愛のない同居は6週間で終わる。アントニーナは離婚を拒み、16年後にチャイコフスキーはこの世を去る。結婚から40年後、ロシア革命の混乱の中、68歳で没したアントニーナは精神を病んでいた。
印象的なシーン。ピアノを前に、物思いにふけるチャイコフスキーにアントニーナが語り掛けるが反応はない。天才芸術家と伴侶の間には精神の回路がないことを物語っている。二人は別々の世界に住んでいた。
アントニーナは、離婚を迫るチャイコフスキーの周辺からあてがわれた男たちに性欲を発散させ、生まれた子は施設に預けた。けっして良妻として描かれていない。情念に忠実に生きた女性、といえばいえる。一方のチャイコフスキーは、女性の視点からという映画のつくりから内心はほぼ見えていない。そんなわけで、芸術家・表現者の伴侶として生きるとは、という面白いテーマだが、突っ込み不足の感もある。ロシアはいまだLGBTQを認めないらしいが、その点では挑戦的な作品だ。主演のアリョーナ・ミハイロフは1995年ロシア生まれ。撮影時は20代である。それにしては複雑な難役をこなし、見事な存在感だ。
2022年、ロシア・フランス・スイス合作。キリル・セレブレンニコフ監督。
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