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負の歴史に真摯に向き合う~「アナウンサーたちの戦争 劇場版」 [映画時評]

負の歴史に真摯に向き合う~「アナウンサーたちの戦争 劇場版」


 NHKディレクターで作家の渡辺考が著した「プロパガンダ・ラジオ 日米電波戦争 幻の録音テープ」は日中戦争の発端となる盧溝橋事件の2年前、1935年に発足した日本放送協会(現NHK)の海外向けラジオ短波放送が、戦火拡大とともに「兵器」として使われた歴史を追った。末尾にNHKプロデューサー塩田純が文章を寄せ、こう書いている。
 ――私たち放送の担い手は、かつて真実を報道できず、多くの人々を戦場へと導く結果をもたらしたことを、改めて認識しなければならないでしょう。(略)放送人が自らの戦争責任を解明していくこと、それは今後も続けなければならない重い課題です。
 当時、メディアの主役はラジオアナウンサーだった。テレビやネットがある現代と比べ、ラジオの比重は極めて高かった。その背景を少し探ると―。

 20世紀初頭、公共空間の構造が大きく変わった。原因の一つはラジオの出現だった。それまで知識の源泉は書物だったが、ラジオによる宣伝・扇動(プロパガンダとアジテーション)が取って代わり、公共空間は書斎から街頭に移って労働者大衆を扇動する政党が台頭した。このことを体現したのがヒトラーのナチスだった(この項「増補 大衆宣伝の神話」佐藤卓己著を参照)。

 戦時下の日本でも新しいメディアであるラジオをどう使うかは大きな政治テーマとなった。こうした状況の中、真実か扇動かで悩みもがいた放送人の姿を描いたのが映画「アナウンサーたちの戦争」である。
 昭和14年春、新人アナウンサー入局から始まる。実枝子(橋本愛)たちは研修の席で、和田信賢アナ(森田剛)の傍若無人ぶりを見てあっけにとられる。やがて真珠湾攻撃による日米開戦。和田や若手の館野守男アナ(高良健吾)は軍艦マーチとともに大本営発表の戦果を高揚して伝えた。和田はスポーツ実況では第一人者で、戦争報道にも力は発揮されたのだ。しかし、戦況悪化とともに真実の報道かどうか疑い始め苦悩、ラジオはアジテーションだとする館野とも対立する。和田と結婚した実枝子は叱咤するが…。

 昭和181021日、雨の神宮外苑。学徒出陣の実況中継を任された和田は直前に学徒らを取材、本心を聴き、苦悩は深まった。軍部の要請と真実の報道とのはざま、ついに和田は中継を放棄、若手に委ねる。
 和田や館野だけではない。新設されたマニラ支局に赴任、電波戦の担い手として戦い、帰らかなかった局員。それぞれに苦悩し、戦後の生きざまもそれぞれに決したことが紹介される。
 冒頭の著作もそうだが、NHKが負の歴史を真摯に見つめ作品としたことに敬意を表したい。この姿勢は映画人、新聞人、文学者にも等しく問われるべきことだろう。


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