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重厚さより洒脱な味~映画「生きる LIVING」 [映画時評]

重厚さより洒脱な味~映画「生きる LIVING


 「命短し 恋せよ乙女…」
 雪の夜のブランコで哀切のメロディを志村喬(役名は市民課長・渡辺勘治)が口ずさむ、あの名画「生きる」(黒澤明監督)が帰ってきた。カズオ・イシグロがシナリオを担当した「生きる LIVING」。1953年のロンドンが舞台。黒澤作品より1年遅い時代設定で冒頭、第二次大戦直後の街頭が映し出される。粒子の粗いカラーの画調が、時代の雰囲気を醸し出す。

 ウィリアムズ(ビル・ナイ)は、ロンドン市役所の市民課長。たらい回しされた挙句、寄せられた陳情書を読みもせず書類棚に積み上げる。単調な毎日。
 出だしの展開は、黒澤作品とあまり変わらない。違っているのは「これが、この物語の主人公である。しかし、今この男について語るのは退屈なだけだ。彼には生きた時間がない」という、記憶に残るナレーションがないこと。代わりに朝の出勤風景が丹念に描かれる。黒澤作品が、穴倉を覗くような閉塞感を最初から持つのに対し、やや開放感がある。それは、主人公が山高帽の似合う洒落た英国紳士である点にも共通している。志村は重厚だがあくまで無骨、不器用な公務員である。
 長年無遅刻、無欠勤のウィリアムズが珍しく午後を早退し、主治医を訪れる。検診の結果を聞くためだ。余命半年、長くて9ヵ月という宣告だった。彼の内面にさざ波が立つ。残りの人生どう生きるか。
 ウェイトレスに転身したかつての部下マーガレット(エイミー・ルー・ウッド)と会い、対話を重ねるうちエネルギッシュな生き方に共感したウィリアムズは、手ごたえを感じる生き方をしてみようと思い立つ。
 翌日からの彼は、見違えるようだった。積み上げたままだった公園の陳情書に目を通し、関係部署に根回しを進めた。声は自信に満ち、相手の対応に引くことはなかった。土砂降りの雨の中を傘もなく突き抜ける。マーガレットが明かしたニックネーム「ゾンビ」の面影はなかった。

 シーンは一気にウィリアムズの遺影に転換する。細かく心理描写を重ねた黒澤作品と違い、イシグロのシナリオは鮮やかでスピーディーである。公園は完成しており、かつての部下ピーター(アレックス・シャープ)と付近を見回る警官の回想で、ウィリアムズがどう生きたかが語られる。ピーターの目を通して語られることで、ウィリアムズの足跡が確実に後の世代に引き継がれていることが、観るものに伝わる。黒澤作品にない味である。
 ラストシーン、志村が口ずさむ「ゴンドラの唄」はスコットランド民謡「ナナカマドの木」に変えられた。重厚な黒澤作品に比べ、洒脱な作品に仕上がっている。全体の尺も短く、その分シナリオの手が込んでいる。一つ難点を言えば、なぜリメイク版がいま作られなければならないかという根拠が今一つ不明なことである。
 2022年、英国製作。監督オリヴァー・ハーマナス。


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