取るに足らない人々が紡ぐ物語~濫読日記 [濫読日記]
取るに足らない人々が紡ぐ物語~濫読日記
「ギャバンの帽子、アルヌールのコート 懐かしのヨーロッパ映画」(川本三郎著)
著者は私より5歳年上。まあ、ほぼ同年代と言っていい。その著者が10代のころ、映画館通いをして見聞した名画32本がラインアップされた。1950~60年代が中心で、好みが反映されたらしくフランス映画が多い。私は9割がた未見で、観たのは「第三の男」や「ヘッドライト」など歴史的な作品ばかりだった。互いの少年期の違いが分かる。
観てもいない映画の評を読んで面白いのか、といぶかられるかもしれないが、そこが著者の腕であろう。批評とともに粗筋が過不足なく紹介される。書き味のうまさに引き込まれる。末尾あたりに気のきいた歴史エピソードも紹介されている。
やや唐突感のある長いタイトルは「ヘッドライト」をめぐる一文から。
――いつもビニールの安いコートを着ている。それが似合う。アルヌールは「女猫」ではエナメルのコートを着ていた。ジャン・ギャバンには帽子が似合うとすれば、アルヌールはコートだ。
高価な帽子やコートではない。「ヘッドライト」の原題は「取るに足らない人々」。月の光の下のひかげの花。黒が似合う小柄で華奢な女性と、親子ほど年の離れた中年ドライバーの恋。それが詩情あふれる物語として描かれる。監督はアンリ・ヴェルヌイユ。アルメニア人で、一家はトルコの迫害を受けフランスに移住した。そうした体験も、この映画の「哀しさ」の底流にあるのではないか。
著者は、スクリーンに流れるもの悲しさやうらぶれたたたずまいに共感をにじませる。そこが、読むものを引きつける。
フランスのギャング映画の名作「現金に手を出すな」。同じギャバンの主演だが、ここでもさりげないディテールに目をやる。金塊を奪ったことを、うっかり若い女に漏らした友人を、こうたしなめる。
――俺たちはもう若くないんだ。若い女にうつつを抜かすな。
なんと気のきいたセリフ。
フランスとドイツの元戦闘機乗りがアフリカ西海岸で偶然出会う。一人はダイヤを盗み、一人は麻薬組織の手先に落ちぶれている。互いの経歴を知り友情を覚え、この地からの脱出を企てる。「悪の決算」(原題「英雄たちは疲れている」)も、出口の見えない寂寥感を漂わせる。
「第三の男」。著者も書く通り「風と共に去りぬ」と並んで戦後日本人に最も愛された外国映画であろう。その秘密(共通点)をずばり「敗者の物語」とする。「風と共に…」は南北戦争の敗者の女性が主人公だし「第三の…」は敗戦国オーストリアが舞台。ここにも、川本の視線と関心のありようが現れている。
興味深かったのは、オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムのモデルがキム・フィルビーでは、とする説を紹介した部分。東西冷戦期の大物スパイ(ダブルクロス)の存在がこの名画の出発点にあるなら、これほど面白いことはない。
「取るに足らない」人々の物語を紡ぎ、芳醇なワインの香りを漂わせるのは、川本の手腕のたまものであろう。
春秋社刊、2000円(税別)。
著者は私より5歳年上。まあ、ほぼ同年代と言っていい。その著者が10代のころ、映画館通いをして見聞した名画32本がラインアップされた。1950~60年代が中心で、好みが反映されたらしくフランス映画が多い。私は9割がた未見で、観たのは「第三の男」や「ヘッドライト」など歴史的な作品ばかりだった。互いの少年期の違いが分かる。
観てもいない映画の評を読んで面白いのか、といぶかられるかもしれないが、そこが著者の腕であろう。批評とともに粗筋が過不足なく紹介される。書き味のうまさに引き込まれる。末尾あたりに気のきいた歴史エピソードも紹介されている。
やや唐突感のある長いタイトルは「ヘッドライト」をめぐる一文から。
――いつもビニールの安いコートを着ている。それが似合う。アルヌールは「女猫」ではエナメルのコートを着ていた。ジャン・ギャバンには帽子が似合うとすれば、アルヌールはコートだ。
高価な帽子やコートではない。「ヘッドライト」の原題は「取るに足らない人々」。月の光の下のひかげの花。黒が似合う小柄で華奢な女性と、親子ほど年の離れた中年ドライバーの恋。それが詩情あふれる物語として描かれる。監督はアンリ・ヴェルヌイユ。アルメニア人で、一家はトルコの迫害を受けフランスに移住した。そうした体験も、この映画の「哀しさ」の底流にあるのではないか。
著者は、スクリーンに流れるもの悲しさやうらぶれたたたずまいに共感をにじませる。そこが、読むものを引きつける。
フランスのギャング映画の名作「現金に手を出すな」。同じギャバンの主演だが、ここでもさりげないディテールに目をやる。金塊を奪ったことを、うっかり若い女に漏らした友人を、こうたしなめる。
――俺たちはもう若くないんだ。若い女にうつつを抜かすな。
なんと気のきいたセリフ。
フランスとドイツの元戦闘機乗りがアフリカ西海岸で偶然出会う。一人はダイヤを盗み、一人は麻薬組織の手先に落ちぶれている。互いの経歴を知り友情を覚え、この地からの脱出を企てる。「悪の決算」(原題「英雄たちは疲れている」)も、出口の見えない寂寥感を漂わせる。
「第三の男」。著者も書く通り「風と共に去りぬ」と並んで戦後日本人に最も愛された外国映画であろう。その秘密(共通点)をずばり「敗者の物語」とする。「風と共に…」は南北戦争の敗者の女性が主人公だし「第三の…」は敗戦国オーストリアが舞台。ここにも、川本の視線と関心のありようが現れている。
興味深かったのは、オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムのモデルがキム・フィルビーでは、とする説を紹介した部分。東西冷戦期の大物スパイ(ダブルクロス)の存在がこの名画の出発点にあるなら、これほど面白いことはない。
「取るに足らない」人々の物語を紡ぎ、芳醇なワインの香りを漂わせるのは、川本の手腕のたまものであろう。
春秋社刊、2000円(税別)。
ギャバンの帽子、アルヌールのコート: 懐かしのヨーロッパ映画
- 作者: 川本三郎
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2013/09/19
- メディア: 単行本
2023-03-13 15:07
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