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孤独な老人に起きた化学変化~映画「オットーという男」 [映画時評]

孤独な老人に起きた化学変化~映画「オットーという男」


 この映画を見ていて、C・イーストウッド監督・主演の「グラン・トリノ」(2008年)を思い出した。ともに退職したばかりの頑固で偏屈な爺さんが主役。新たな隣人が加わり、人生に化学変化が起きる。ここまでは似ている。しかし「グラン・トリノ」と「オットーと呼ばれた男」がそこから掘り下げたものはまるで違っていた。

 「グラン・トリノ」は、朝鮮戦争の体験がポーランド系移民の自動車工、コワルスキーの精神の闇を形成する。それが、インドシナからの少数民族が地域のトラブルに巻き込まれるのを見かね、立ち上がる起爆剤になる。義侠心による行動が、彼の命を奪う。

 オットー(トム・ハンクス)は、製鉄会社に勤めていた。ルールを厳格に守ることを第一に考え、職場からはうっとうしがられ、体よく言えば「肩たたき」にあって職場を去った。長屋風の共同住宅に住み日常的な見回りを欠かさなかったが、偏屈とみられ敬遠されがちだった。そんな折り、隣家へ家族が引っ越してきた。
 新しい隣人マリソル(リアナ・トレビーニョ)らはオットーに明るく接した。オットーの心理にも変化が起きる。

 冒頭シーン、オットーがスーパーでロープを買う。5フィートか6フィートかで店員ともめる。サイズとりの基準が店と違うためのようだが、次のシーンで首吊り用と分かる。どうせ死ぬのなら長さが少し違うくらいどうでもよさそうだが、それを見過ごせない気質だと一連のシークエンスで言っている。
 オットーはその後も、何度か自殺を企てる。駅のホームで飛び込みを夢想していると、隣の男性が意識喪失し線路に転落。間一髪で助け出すと、偶然撮られた動画がSNSで流され「英雄」扱いされる。
 6か月前に妻のソーニャ(レイチェル・ケラー)を亡くした。彼女との出会いと結婚のシーンがフラッシュバックのようにかけめぐる。老人の孤独感を引き立たせる。
 ある日、新聞や郵便を配達する若者と偶然、言葉を交わした。教師だったソーニャの教え子で、彼女の思い出をオットーに聞かせた。こうして、周囲の人々は彼を孤独の淵に追いやるまいと積極的に関係を持とうとしているようだった。オットーの自殺願望は薄れていった。
 オットーには心臓肥大症が若いころからあり、兵役も不合格だった。失意のうちにそれを告げたオットーの姿に、ソーニャも結婚を決めたのだった。医者から「ハートが大きい」と告げられ、「俺はハートのでかい男だ」と冗談を飛ばすオットー。

 「グラン・トリノ」が老人の背後のアメリカの闇を直視したのに対し「オットーと呼ばれた男」は、あくまでもヒューマンな物語として環を閉じている。
 2022年、米国。監督マーク・フォースター。原作はスウェーデンの人気作家フレドリック・バックマンによる世界的ベストセラー小説「幸せなひとりぼっち」。


オットーと呼ばれた男.jpg



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