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戦後的言論空間への一石~濫読日記 [濫読日記]

戦後的言論空間への一石~濫読日記


「満洲国グランドホテル」(平山周吉著)


 「真実は細部に宿る」という。今となっては出典を確かめようもないが、ノンフィクション関係の著作で目にした記憶がある。さて、標題の一冊、満洲国のホテルを書いているわけではない。著者の平山があとがきで触れたように、映画などでいうグランドホテル形式を指している。特定の場所を舞台に、複数の人間ドラマを並行して描く。さながら大きなホテルのロビーを行きかう人々の横顔をスケッチするように。ここでは「満洲」という限られた地理的、時間的空間の物語を36景、掲載した。演者は、満洲国自体が軍人と官僚の合作である以上、その方面が多いのは当然として文学者、映画人、マスコミ関係、と多岐にわたる。もちろん、二キ三スケと呼ばれた大立者が、中心をなしている。これらの人物を通して書かれたのは、微細な人間関係の裏表である。

 全体を通しての印象を言えば「満洲」という国が放つ、万華鏡のようなきらめきである。人物によって、あるいは同じ人物でも時の流れの中で屈折度を変え、光の色を変える。「五族協和」や「王道楽土」の理想郷が、時代の流れの中で植民地主義によって絡めとられていく。その過程は一筋縄ではいかない。人によって、時空によって微妙な違いを見せる。

 多士済々が登場する中、1回目を小林秀雄の、36回目を島木健作の二人の文学者の紀行文で組み立てたところに、著者のある種の「思い」を感じる。橋川文三の評を引き「誠実なインテリゲンチアの心に映じた満洲(ないしは日本と満洲の関係)の現実を素材としながら、大陸に進出した日本の自己批評を試みたといったよい文章である」とした。小林の「満洲の印象」は、満洲国の現実を「政治的必然」としながら(いかにも小林らしいが)、後半では酷寒の地に送り込まれた青少年義勇隊の現実に触れ「不覚の涙を浮かべた」という。
 島木はプロレタリア文学作家として活動後に転向。「生活の探求」でベストセラー作家となった。インテリ青年が故郷に帰り、農業に生きる物語である。その意味では徒手空拳の小林が「日本近代の極北」を見たのに比べ、島木の満洲国観はもう少し地に足がついていた。しかし彼は、あえて農民の側から書こうとしたため、国策批判ぎりぎりを行かざるを得なかった。日本人が満洲に入植する。今までいた民はどうなったか。日本人開拓民の小作人になった。そうした矛盾を、書き漏らさなかった。「島木らしい」といえなくもないが、そこには批判と肯定とがあったようだ。

 二キ三スケとは東条英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右のことだが、当然、随所に出てくる。大杉栄虐殺で知られた甘粕正彦も。しかし、板垣征四郎はいるが石原莞爾は主役としては出てこない。意外ではあるが、著者は「あとがき」で「新しい視点で描くのが難しかった」とした。
 「満洲国のゲッペルス」と呼ばれ、満映理事長に甘粕正彦を招いた武藤富雄・総務省広報処長が甘粕に会った時の印象記が面白い。「残忍酷薄」かと思ったら「案外快活」で「インテリ」で「理知的」だったという。大杉虐殺のイメージが独り歩きしたのだろう。世間の思い込みとは恐ろしいものだ。同じことは板垣にもいえる。「石原莞爾」を書いた新聞記者・西郷鋼作(ペンネーム)によれば、陸軍大学は「ビリに近い成績」で「軍人インテリ」とは程遠く「昼行燈型将軍」で、陸大入学は陸士同期の永田鉄山より三期遅れ、一期下の東条英機より一期あとだったという。腹芸の人で、この点が石原の才気とマッチしたらしい。切れ者かと思いきや、分からないものである。

 ソ連抑留生活11年ののち帰還した内村剛介も取り上げられている。全体を見渡した時、内村の存在はかなり異質である。少年時代に満洲にわたり12年、帰国後11年たってソ連抑留生活を思想的に決算した著書「生き急ぐ」の印象が強いためだろう。内村と聞いて頭に浮かぶのは満洲よりソ連抑留なのだ。
 内村は14歳で満鉄育成学校に入学した。学費不要、卒業後は社員に登用された。しかし、ぬるま湯的空気が嫌で中退、大連二中を経て満洲国立大哈爾濱学院に入学した。当時としてはリベラルな気風だったという。卒業後は関東軍参謀部で民情班に配属。ロシア語放送の傍受、翻訳が仕事だった。哈爾濱学院でのロシア語教育と関東軍での仕事が「ロシアへのスパイ活動」とみなされ、長期抑留につながったようだ。
 内村は1983(昭和58)年、「文芸春秋」座談会に出席した。他の顔ぶれは石堂清倫、工藤幸雄、澤地久枝で、いずれも満洲体験を持つ。この中で「満洲は日本の強権的な帝国主義だった」とする石堂の論に反駁する。「きのうは勝者満鉄・関東軍に寄食し、きょうは勝者連合軍にとりついて敗者の日本をたたくというお利口さんぶりを私は見飽きました」。澤地の「日本がよその国に行ってそこに傀儡国家を作ったということだけは否定できない」とする意見にも「否定できますよ。(略)歴史というものには決まった道があるんですか。日本敗戦の事実から逆算して歴史はこうあるべきだという考え、それがあなたの中に初めからあるんじゃないですか」。

 内村は、満洲建国は正しかったといっているわけではない。戦後思想の中で肯定できないものは切って捨てるという「お利口さん」たちの所作を批判している。いわば「戦後的言論空間に潜む数々のタブー」に投じられた一石である。内村の章の基調低音として著者が引くのは吉本隆明の知られた詩「廃人の歌」である。「ぼくが真実を口にすると ほとんど世界を凍らせるだろうという妄想によって ぼくは廃人であるそうだ」
 ここには、今なぜ満洲が語られなければならないかの核心部分が込められているように思う。戦後思想という袋(もしくは枠組み)から零れ落ちた何かを一つ一つ拾い集めてみれば、満洲国が違った光を放つのではないか。おそらくそれは「アジア主義の見果てぬ夢」のかけらと思われるのだが。

 芸術新聞社刊、3500円(税別)。カバー絵は「虹色のトロツキー」の安彦良和。

満洲国グランドホテル


満洲国グランドホテル

  • 作者: 平山周吉
  • 出版社/メーカー: 芸術新聞社
  • 発売日: 2022/04/22
  • メディア: 単行本


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