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ナチ政権前夜の純愛物語~映画「さよなら、ベルリン またはファビアンの選択について」 [映画時評]

ナチ政権前夜の純愛物語~映画「さよなら、
ベルリン 
またはファビアンの選択について」


 ドレスデンからベルリンに出てきた作家志望の青年と、大学で法律を学びながら俳優を目指す女性が恋に落ちる。青年は夢破れ故郷に戻るが、映画の世界で成功の階段を上り始めた女性が忘れられず、やり直そうとする。思い出のカフェで落ち合うことを約束し、ベルリンへ向かう青年は、小さな出来事に巻き込まれて運命を狂わせる…。

 こんな純愛ドラマが骨格である。しかし、時代は1931年8月。世界は大不況時代に突入し、街頭には失業者があふれ、ナチスが勢力を拡大していた【注1】。不安と退廃と狂騒が物語のフレームを形成する。

 ファビアン(トム・シリング)は広告代理店に勤めていた。数少ない友人のひとりラブーデ(アルブレヒト・シューフ)と飲み歩くうち、ある居酒屋でコルネリア(ザスキア・ローゼンダール)と出会う。彼女は大学で著作権法を学びながら俳優になる手がかりを求めていた。二人はたちまち恋に落ちた。
 しかし、不況を理由にファビアンは解雇される。わずかな退職金でファビアンが買ったのは、コルネリアのためのワンピースだった。そんな折り、田舎から出てきた母(ペトラ・カルクチュケ)を連れファビアンとコルネリアはレストランに赴いた。


 そこで出会ったのは大物映画監督マーカルトだった(このあたり、筋の運びがやや強引)。すかさず挨拶するコルネリア。ファビアンも紹介されたが母の元に戻った。翌日、映画関係者らの前でテストを受けるコルネリア。テストは合格だった。
 ラブーデはブルジョワの息子だった。社会主義運動に加担しつつ、ベルリン大学の教授を目指して論文を提出していた。テーマはレッシングだった【注2】。論文不採用の手紙が届き、銃で自殺してしまう。ファビアンが問いただすと、教授は却下などしていないという。実は助手の男の策略だった。ナチの党員で、ラブーデが社会主義運動家であったことから横やりを入れたのだった。
 失業したファビアンはコルネリアとも別れ、故郷へ帰るしかなかった。悶々とした毎日。コルネリアが忘れられず、居場所を探し当て懐かしいカフェで再会を約束する。ベルリンへ向かう彼は、あるシーンを目撃する。少年が橋の欄干から飛び込んだのだ。とっさに服を脱ぎ、川に飛び込む。しかし、彼は泳げなかった。少年は岸に泳ぎ着いたが、川面に彼の姿はなかった。カフェで待つコルネリアが着ていたのは、あのワンピースだった…。


 こんな純愛物語に、当時の時代の空気を漂わせるため、モンタージュ手法で実写シーンが頻繁にはめ込まれる。かなり騒々しい。その割に本筋の部分が説明不足に思える。評価は分かれそうだ。2021年、ドイツ。ドミニク・グラフ監督。原作はドイツの児童文学作家エーリッヒ・ケストナー。

【注1】「ヒトラーとナチ・ドイツ」(石田勇治著)の関連年表によると、ナチ党は翌32年の国会選挙で第一党に。331月にはヒトラー内閣が成立した。
【注2】レッシングはドイツ史上、ゴットホルト・E・レッシングとテオドール・レッシングが知られるが、テオドールは1931年当時、まだ存命だった。大学の学位論文の対象としては際物過ぎると思われる。ゴットホルト(1729-1781)は、フランス古典主義の付属物とみられていたドイツ文学の自律的価値を認めた人物。


さよなら、ベルリン.jpg


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