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死の光景の中、生き抜いたボクサー~映画「アウシュビッツのチャンピオン」 [映画時評]

死の光景の中、生き抜いたボクサー
映画「アウシュビッツのチャンピオン」


 アウシュビッツ=ビルケナウ収容所に送り込まれた一人のボクサーが、ボクシングによって生き抜いた約3年間を描いた。
 絶滅収容所と呼ばれた施設では、人間のアイデンティティー(存在理由)そのものが認められなかった。一方でスポーツ、特に相手を倒すことに技術を特化させたボクシングは、倒すか倒されるか、人間のプライドを賭けた闘いであるといってもいい。両極にあるこの二つを一つの画面で見せることに、作品の特性があるといえる。
 そうした意図から、映画では「絶滅収容所とスポーツ」という両極の事実のほかは、可能な限り省かれている。例えば、登場するボクサー「テディ」は実在の人物といわれるが、彼がなぜアウシュビッツに送られたかの説明はない【注】。

 1940年、アウシュビッツに最初の囚人が送り込まれた。囚人番号77番「テディ」(ピョートル・グウォヴァツキ)を見て、所内にいた少年は驚いた。ワルシャワのボクシングチャンピオン、タデウシュ・“テディ”・ピエトシコフスキだった。所内で喧嘩をふっかけられたとき、彼は「霧のような男」と呼ばれた。繰り出すパンチが当たらないのだ。
 ナチ将校が、所内に娯楽の必要と彼にリングに上がることを求めた。断れば死が待っていると知ったボクサーは、要求に応じた。生きるためだった。

 リングの周辺には「死の光景」が広がっていた。脱走を口にしただけでいとも簡単に惨殺される人々。手を下すのはナチの兵隊ではなかった。「ゾンダーコマンド」と呼ばれた収容者の一部であろう。彼らもまた生きるためにナチに協力していた。
 「ガス室」の光景も、事実に近いかたちで描かれていると思えた。シャワーを浴びる名目で密室に送り込まれる列。ドアが閉められ、頭上から降り注ぐのは温水ではなくチクロンBだった。ただ、このとき阿鼻叫喚の光景が描かれるが、VE・フランクル「夜と霧」(みすず書房)は「内部から唸り声やすすり泣く声がもれるのを聞いた」という収容所高官の言葉を引用している(45P)。高官が事実を過少に表現したか、映画が過大に描いたか。

 いずれにせよ、こうした絶滅収容所=人間の存在理由の否定→広がる死の光景の状況下、ボクシングを唯一の手段として生き抜いたボクサーの対比に絞った手法は、それなりに成功している。2020年ポーランド。マチェイ・バルチェフスキ監督はホロコースト生存者の孫だという

【注】実在した「テディ」は非ユダヤ人で、国内レジスタンス軍に参加する過程で拘束されたようだ。絶滅収容所に送られたのはユダヤ人のほか心身に障害を持つ人、ロマ民族の人たちだったが、彼はいずれにも該当しないと思われる。反ナチ行動が収容所送りの理由と考えるのが妥当か。なお、ドイツ軍侵攻でポーランド軍は三つに分断された。一部はソ連に移送、一部は国内に残り抵抗(後にワルシャワ蜂起を決行)、一部はフランス経由で英国内の亡命政府に加わったとされる。 


アウシュビッツのチャンピオン.jpg



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