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戦間期の甘美なひととき~映画「帰らない日曜日」 [映画時評]

戦間期の甘美なひととき~映画「帰らない日曜日」


 不思議な映画である。甘美なラブストーリーであり、不穏さを秘めた時代を語る作品でもある。「ラブストーリー」の部分は見た通りなので説明は省くとして「不穏さを秘めた時代を語る」とは―。

 最初に出てくる時代は1924年。第一次大戦が終わって6年後、「マザリング・サンデー」と呼ばれるある日曜日。舞台は英国上流階級の三つの家。大戦の死者が60万人という統計記録を大見出しにした新聞のカットがさりげなく挿入され、遠い海鳴りのような、時代が抱える痛みをにじませる【注】。三つの家でも5人の後継者が戦死、残るはシュリンガム家のポールだけになった。
 マザリング・サンデーには、メイドは里帰りを許された。ニヴン家のジェーン(オデッサ・ヤング)も、丸一日自由に過ごすことを許された。しかし、孤児院に育ち天涯孤独のジェーンに行く当てなどなかった。そこで、シュリンガム家のポール(ジョシュ・オコナー)から声がかかった。二人は「秘密の恋」の関係にあった。
 ポールは、ボブディ家のエマ(エマ・ダーシー)と婚約関係にあった。この日も二人を祝うため、シュリンガム家、ボブディ家、ニヴン家で川べりのランチ会が予定されていた。会に遅れることを承知で、ポールはジェーンとの情事にふけった。
 やがてポールは館を後にし、車でランチ会に向かった。窓から見送ったジェーンは全裸のまま、邸内を奔放に歩き回る。シュリンガム家に戻ったジェーンを待っていたのは、ポールの事故死の知らせだった。
 1948年。ジェーンは作家に転身、書店を構えていた。現れたのは哲学を研究するドナルド(ソープ・ディリス)だった。二人は結婚するが、ドナルドは脳腫瘍に冒されていた。ジェーンは愛する人との二度目の死別を経験した。
 1980年代。ジェーン(グレンダ・ジャクソン)は押しも押されもせぬ作家になっていた。著名な賞を受け、メディアの取材攻勢を受ける。なんてことはないわ、と言いたげな表情。取材陣の背後に、若いころのジェーンが立っている。彼女と目を合わせ「あの時代はよかったわね」とつぶやく。受賞作は、あの一日を描いたものであろう。

 映画が描いたのは、戦間期英国のあやうくて甘美な平和である。それを一人の女性の心象に重ね、その後の第二次大戦、冷戦の時代をこの女性はどのように生きたのか、と思わせるところが、冒頭書いた「ラブストーリー」に収まらない部分であろう。
 こうしてみると、この映画は映像化されていない部分に核心があり、観るもののの心をそそる。
 面白いシーンがあった。ドナルドに作家になった契機を聞かれ、一つは生まれた時、二つ目はタイプライターをもらったとき(書店の店主からタイプをもらうシーンがある)、三つ目は秘密と答える。三つ目の答えはもちろん、ポールとの情事と死である。このとき「プロの観察者になる」(ジェーンのセリフ)と決意した。
 2021年、英国。原題「Mothering Sunday」。監督エヴァ・ユッソン、原作グレアム・スウィフト。

【注】現在の統計では、英国の戦死者数887千人、ちなみに仏が1398千、ロシア181万~235万、ドイツ205万、ハンガリー110万人とされる。「戦争から6年」という感覚は、全く同じではないが、日本の戦後6年の時代状況を考えれば、ある程度想像がつく。「傷が完全に癒えた」とは考えにくく、登場人物もそうした心的状況をうかがわせる。例えばポールがジェーンとの情事の後でベッドの精液を指さし「自分の種だ」というシーン。かなり詳細に描かれるが、それだけ演出上のこだわりが見てとれる。家系の後継者が死んでいったことへの切迫感がにじむ。


帰らない日曜日.jpg


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