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文化と青春の薫りがする~濫読日記 [濫読日記]

文化と青春の薫りがする~濫読日記


「聖子 新宿の文壇BAR「風紋」の女主人」(森まゆみ著)

 2月下旬、新聞に小さな死亡記事が出た。林聖子さん。93歳。文壇バー「風紋」元店主。作家、映画監督らが足を運んだという。太宰治の小説のモデルにもなった。どのようにして「文壇バー」なるものの店主になったのか。どのような人生を生き、店にはどんな人々が集まったのか。誰しも関心を持つところだ。おそらく同じ思いだった森まゆみが本人と周辺からの聞き語りとしてまとめた。

 帯に「『風紋』に集まった人々」の一覧がある。文壇バーというとおり、大御所あり、無頼派作家あり、詩人あり、思想家あり、先鋭的な映画監督あり。陳腐な表現だが「綺羅星のごとく」である。時代の息吹を感じさせる人たちは、「風紋」のどこに魅力を感じて集まったのだろう。
 彼女が放つ何か、それを探るために森はまず出自に目を向ける。父の倭衛はアナキスト大杉栄にシンパシーを抱く画家だった。大逆事件で刑死した菅野スガの慰霊祭を取材した森は、その後の流れで聖子の店へ出向いた。それが、この本を書くきっかけになった。1990年代のことである。
 倭衛は1919年に大杉をモデルにした「出獄の日のO氏」を二科展に出し、警視庁から撤回命令を出される。2年後、フランスに渡った。翌年、大杉がパリに現れる。二人の「乱痴気騒ぎ」がしばらく続いた。1923年、パリのメーデーで演説した大杉は逮捕、「好ましからざる人物」として国外追放される。その年の秋に関東大震災が起き、大杉は伊藤野枝とともに殺害される。倭衛は「あのとき逮捕されていなければ日本にはいなかっただろう」と日記に書いた。やがてイヴォンヌと知り合うが日本には連れ帰らず、津山から上京した画学生・秋田富子と結婚した。
 40代初めの倭衛の写真が掲載されている。和服姿でひげを生やし、細面でなかなかの顔立ち。表紙にある聖子も、父に似て細面の美人である。倭衛は結婚して2年後、聖子が生まれた時にはフランスにいた。病弱の母は結核療養所に出たり入ったり、父は愛人の博多芸者のもとに入りびたり。火の車状態で父は病死した。何もない状態で聖子の戦後が始まった。17歳だった。
 太宰治とは、母のアパートで出会った。母が体調のよいとき勤めていたカフェの客だった。1941年、13歳だった。

 ――終戦の翌年の11月初め、私は三鷹駅前の書店で、太宰さんとばったり会ったんです。(略)「聖子ちゃん?無事だったのか。よかった、よかった」と、昔のままで全然変わっていなかった。
 ――そこに載っていた「メリイクリスマス」では私が主人公のモデルで、母親が広島の空襲で亡くなった孤児ということになっています。(略)これを読むと、ずっと昔の自分に出会うことができます。(130-131P)

 太宰の紹介で、翌年春から新潮社で働いた。1948年、太宰は山崎富江と心中。聖子は玉川上水の心中現場に立ち会った。筑摩書房に勤めを変え、4軒のバー勤めをへて最初の「風紋」を始めた。1961年のこと。それまでに同棲男性の死があり、演劇を学んだりもした。開店4年目から最後まで手伝ってくれた女性・節子は後にイラストレーター林静一と結婚した。

 壇一雄、勅使河原宏、大島渚…。酔って店の階段から転落し、病院に担ぎ込まれた竹内好。第3「風紋」まで、客筋は実に多彩だ。カウンターの内側から見た愛すべき横顔は、いずれも文化と青春の薫りがする。おそらくは店主の持っている「何か」が引き付けたのだろう。
 亜紀書房、1800円(税別)。

聖子——新宿の文壇BAR「風紋」の女主人聖子——新宿の文壇BAR「風紋」の女主人

作者: 森 まゆみ
出版社/メーカー: 亜紀書房
発売日: 2021/10/23
メディア: 単行本



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