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人気のコンテンツと人気俳優~映画「燃えよ剣」 [映画時評]

人気のコンテンツと人気俳優~映画「燃えよ剣」


 幕末の極めて短期間、剣の最強集団として動乱の京都に登場した「新選組」は、徳川政権の没落とともに落日の運命をたどった。判官びいきもあって、日本人が歴史上最も好むコンテンツであろう。この新選組を題材に原作・司馬遼太郎、岡田准一(土方歳三)、鈴木亮平(近藤勇)の当代人気俳優が配役を担うとなれば当たらないはずがない。それに尽きる映画である。

 1862年の武州。天然理心流道場「試衛館」で「農民剣法」と笑われながらも修行に励む土方、近藤、沖田総司(山田涼介)ら。桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたことを知り動乱の時代を予感、京都こそ時代の中心を担うと上洛を決意する。
 京の治安悪化を憂えた一橋慶喜(山田裕貴)は、会津藩主・松平容保(尾上右近)を京都守護職に任命。治安回復の名案が浮かばない容保は、当時京に集まった「浪士組」に目を付けた。多額の報酬につられた面々が浪士組に集まった。
 そこには様々な思想の持ち主がいた。例えば浪士組の発案者・清河八郎(高嶋政宏)は尊王攘夷派だった。近藤、土方は芹沢鴨(伊東英明)らと組み内部抗争(内ゲバ)に走り、倒幕派を追放。京の治安維持という一点で結束する壬生浪士隊(壬生浪)を作りあげた。芹沢は酒と女に狂い、組織の評判を落とす。土方らは芹沢暗殺を決行した。
 土方は組織の整備のため局中法度をしたためた。脱走や不要な金銭要求など、違反すれば即切腹という厳しいものだった。隊はやがて「新選組」を名乗った。活動の頂点が池田屋での尊王攘夷派27人殺害だった。
 時代の流れにつれ近藤、土方らは敗者の道を歩む。近藤は最終的に名を偽って降伏(この行動は土方が説得した結果という説もあるが、映画では土方の制止を振り切った、となっている)、身元が発覚して斬首された。土方は長い退却戦の末、1869年に北海道・五稜郭で銃弾に倒れた。

 見どころをいくつか。司馬の原作でもこの映画でも、中心軸は土方歳三である。彼の組織論的手腕(それは冷徹さにも通じる)の描き方に比重が置かれる。いわゆる「ナンバー2」の哲学とでもいうべきものである。日本の政界を振り返ると、官房長官としての菅義偉、後藤田正晴、野中広務らがこうした役回りの人物として浮かぶ。彼らに通じる動き方が描かれていた。ただ、その分鈴木が演じる近藤の影が薄くなったのが悔やまれる。
 新選組は、日本で初めて生まれた近代組織論を体現する集団といわれる。江戸幕藩体制は藩=家を基礎としており、目的意識によって組織されてはいなかった。新選組と同じく目的論的組織論を基礎としたのが高杉晋作の奇兵隊だった。二つの団体は士農工商という階層を飛び越えて武装した、という新しさを持っていた(二つは、倒幕・佐幕の対立軸を越えているところが興味深い)。この結果としての徴兵制軍隊に対する士族階級の抵抗が西南戦争だったといえる。作品中、「士道」の在り方をめぐって、会津藩とつながりが深い芹沢と土方が論争する場面にも、その辺を見てとれる。
 岡田をはじめとする殺陣は、かなりリアルであると感じた。幕末期の立ち回りはほとんど路上でなく屋内で演じられた。カモイや柱が邪魔になり、桃太郎侍のような大立ち回りは不可能だったと推測される。したがって、突いたりひいたりする剣の使い方がほとんどだったと思われる。農民剣法といわれた天然理心流は、太くて重い木刀をひたすら振ることで腕力を鍛えたという。この点も、屋内での立ち回り(接近戦)に適していた。薩摩の人斬り以蔵(岡田以蔵=村上虹郎、一瞬出てくる)は示現流の使い手で、この流派はひたすら打ち込みと突きの鋭さを鍛えた。やはり、実戦向きであった。農民階級も動員された戦国時代の戦でも、突きと引きが強調されたという。
 土方を慕う女性お雪に柴崎コウ。岡田、鈴木、伊藤英明と、かなりバタ臭い顔が並ぶ。プロローグのキャスト紹介でアルファベットが並ぶ段階で、これは覚悟しなければならない。
 2021年、監督・脚本原田眞人。


燃えよ剣.jpg


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