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時間軸でみたヨーロッパ文明論~濫読日記 [濫読日記]

時間軸でみたヨーロッパ文明論~濫読日記


「続ヨーロッパを知る50の映画」(狩野良規著)


 続編に先立つ「ヨーロッパを知る50の映画」はフラットな地理感覚で、いいかえれば地図上の位置で分類し、ヨーロッパ映画を語った。北から始まりスペイン、フランス、ドイツ、ロシアに至り、最後は東欧・地中海。監督でいえばアキ・カウリスマキに始まり、締めはテオ・アンゲロプロスだった。顔ぶれの並べ方がなんとも好みだった。
 続編は一転、歴史的な時間軸による構成。古代、中世に始まり第一次大戦、第二次大戦を経て現代へと向かう。必然として歴史が中心テーマとして語られる。その中でヨーロッパ文明とは何かが軽妙に解き明かされる。
 取り上げたのは、一癖も二癖もある名匠の作ばかり。観ているものも、観ていないものもあり。しかし、どちらも読んで楽しめる。単なる作品紹介ではないからである。既に観たものであれば、読みの深さや角度の違いを楽しめる。観ていなければ、映画を通したヨーロッパ論を楽しめる。
 これは前著から書かれていることだが、ハリウッド映画の気宇壮大、勧善懲悪、予定調和の結末はヨーロッパ映画にはない。「古代」の章で語られるパゾリーニ、フェリーニしかり。「中世」の「裁かるるジャンヌ」(カール・ドライヤー)も、戦場での勇ましいジャンヌ・ダルクは出てこない。
 例外的な作品が「十九世紀」の章のルキノ・ヴィスコンティ「山猫」だが、著者はもちろんスペクタクルに目を奪われてはいない。没落貴族である公爵は神父との対話でこう語る。「どんな新体制も、この美しい風景は変えられまい」。国破れて山河在り、である。地味なシーンの練れたセリフ。
 「革命の曙」の章では、ベルナルド・ベルトルッチの「1900年」。大地主と小作人の家に生まれた二人の男のたどる人生を軸にファシズムの時代を描く。第二次大戦が終わり、階級的対立の中で翻弄されるが、なんと現代(1970年代)に至っても、かつてのようにケンカしながら生きている。蛇足とも思えるシーンが、勧善懲悪や反ファシズム映画へのパターン化を拒んでいる。
 第二次大戦では、アンジェイ・ワイダ「地下水道」。ここでも、監督が結末のシーンにかけた屈折の視線が紹介される。出口にたどり着いたレジスタンスが、鉄格子に阻まれる。あるいは、いったん逃げおおせた中隊長が、後続がいないのを見てマンホールの中に引き返す。ファシストから解放され、今度はスターリンの手が伸びてきたという絶望感。惨めな死を遂げる右翼テロリストを描いた「灰とダイヤモンド」に通じる。
 ジッロ・ポンテコルヴォ「アルジェの戦い」やコスタ・ガブラス「Z」、ジャン・リュック・ゴダール「気狂いピエロ」と続く。幻のフィルムを求めて「監督A」がバルカン半島をさまようアンゲロプロス「ユリシーズの瞳」、フィンランドの貧困を描いたカウリスマキ「過去のない男」もある。
 「ユリシーズの瞳」に、巨大なレーニン像が船に積まれドナウ川を行く印象的なシーンがある。「リアルタイムの激動するヨーロッパ状勢を見事に異化し、さながら戦い敗れた古代神話の英雄を語るがごとく、悠揚迫らぬ風の叙事詩として謳いあげる」と。絶品の批評である。
 国書刊行会、2400円。


続ヨーロッパを知る50の映画

続ヨーロッパを知る50の映画

  • 作者: 狩野 良規
  • 出版社/メーカー: 国書刊行会
  • 発売日: 2014/09/19
  • メディア: 単行本


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