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命がけの脱出行を淡々と~映画「アウシュヴィッツ・レポート」 [映画時評]

命がけの脱出行を淡々と~映画「アウシュヴィッツ・レポート」


 アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れたことがある。人類最大の犯罪と呼ばれたユダヤ人虐殺の現場を、自分の目で確認したかったからだ。しかし、そこにあるのは犯罪の痕跡であり、もっと端的に言うなら遺跡であった。そこに立てばナチス・ドイツが行った所業(それはヨーロッパ全体の犯罪であったかもしれないが)を、類推はできる。しかし所詮、入れ物は入れ物、遺跡は遺跡である。その限界を打ち破るにはどうするか。行われた犯罪に関する記録、書物、映像をフィクション、ノンフィクションを問わず読み下し、想像力の翼を広げることに尽きると思う。

 さて、映画「アウシュヴィッツ・レポート」。冒頭で「事実に基づく」と注釈が入る。19444月。ユダヤ系スロバキア人、アルフレート(ノエル・ツツォル)とヴァルター(ペテル・オンドレイチカ)が主人公である。収容所内でゾンダーコマンドとして働き、虐殺の実態を日常的に目にしていた。非人道的な実態を世界に知らせるため、2人は脱走を企てる。まず、資材置き場の地下の穴にひそんだ。人数が足りないことに気づいた収容所の将校は、9号棟の全員を2昼夜、厳寒の屋外に立たせ追及する。
 命がけで鉄条網を越えた2人は、まともな靴も履かないまま荒野を恐怖に駆られ走った。気力も尽き果てたとき、民家にたどり着く。幸運なことにその家は反ナチ・パルチザンに通じていた。
 やがて赤十字の担当者と面会。収容所の実態を聞いた彼らは当惑する。アウシュヴィッツは難民収容所とされ、赤十字から支援物資も送られていた。赤十字内のナチ関係者が虚偽の報告を上げていたのだ。
 2人は、ゾンダーコマンドとして目にしたことをタイプで記録にまとめた。やがて文書は連合国側に届いた。ハンガリー系ユダヤ人の強制連行は中止され、12万人が救われたという。しかし、ポーランド系などその他のユダヤ人連行は継続。望んでいた収容所への爆撃と破壊も、実行されることはなかった。

 アウシュヴィッツの実態がドイツ国内で周知となったのは1960年代と伝わる。関与したドイツ人が口をつぐんだからだ。存在が公式に確認されたのは19451月、ソ連軍が解放した時点という。後に絶滅収容所といわれたように、生きて出たものはいなかった。そのため、存在そのものが国際社会に認知されたのは、かなり後になってからだった。
 映画の舞台となった1944年4月は、ユダヤ系の人たちが最も多く送りこまれた時期だった。この時から半年間で50万人余が死の門をくぐったとの記録もある。命がけの脱出行が国際世論に大きな波紋を投げかけ、虐殺を止める大きな力となった、といいきれるほど歴史の動きは単純ではなかったのだ。
 エンドロールで、今日沸き上がるさまざまなヘイトスピーチや極右的な社会分断の動きを取り上げ、警鐘を鳴らす。ヨーロッパ製作の映画らしく、主要人物をヒロイックに取り上げるでもなく、単純な勧善懲悪でもない視点には共感が持てる。長回しによる恐怖感の盛り上げが印象的だ。
 スロバキア、チェコ、ポーランド、ドイツ合作。ペテル・バビヤーク監督。


アウシュヴィッツ.jpg


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