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で、東京五輪はやっぱりやるの?~三酔人風流奇譚 [社会時評]

で、東京五輪はやっぱりやるの?~三酔人風流奇譚


菅政権のやり方はどうなのか
松太郎 東京五輪まで1カ月ちょっとになった。
竹次郎 世論調査では中止や延期を求める声が半数以上あったが、本当にやるんだろうか。
梅次郎 もう、そういう段階は過ぎたんじゃないの。G7で菅義偉首相も「やる」と明言したことだし。
松 G7での表明を受けて一部メディアは、国際公約でもあるし立派にやらなければ、というトーンに変わりつつある。
竹 なんとも不愉快な動きだ。菅首相は一貫して世論に目を向けなかった。その人が国際的な会議で約束したからと言って、なんで国民が従わなければいけないのか。民主主義の手続きを踏みにじる行為だ。
松 IOC幹部の言動と日本政府の動きは妙にシンクロしている。原点は、民主主義を無視するという一点だ。もっとはっきり言えば、両者の共通点は独裁政権の手法そのものであるということだ。
竹 それは感じる。もともと民主主義は複雑で面倒な手続きだが、独裁政権はそこをすっ飛ばして予定調和で物事を進める。最終的に調和しなかった場合、カタストロフに陥る。
松 民主主義では、少数意見も含めて多様な意見を吸い上げ、最終的に多くの人間が納得できる地点に着地するよう努力する。この、多様な意見を踏まえて着地点を見出すという作業を一人の「有能な」人間に任せれば極めて効率的ではないか、というのが独裁体制の由来であろう。菅政権のやっていることもそういうことだ。多様な意見の合意点は私が決める。五輪後には国民は誰が正しかったかを知ることになる…。
梅 ただ、現実と違うのは、菅首相は国民の様々な意見の調和点を見極めるほど有能とはだれも思っていない。それに国民はそこまで「バカ」でもない。
竹 今の政権のやり方は愚民政治だ。国民はバカだと言っているに等しい。

かつて見た光景
松 実際に見たわけではないが、近現代史を踏まえると今の状況は既視感がある。米国と戦争しても勝てるわけがない、とみんな思っていた。それはデータでも明白だったにも関わらず、支配層の一部が独走して真珠湾攻撃があった。
竹 近代日本の分水嶺はノモンハンにあったと思っている。日本とソ連が満州国境地帯で一触即発状態にあったとき、辻正信は「寄らば斬る」と前線に檄を飛ばした。その結果惨敗した。戦車、航空機、火力いずれをとっても10倍以上の格差があったから当然だった。しかし、日本の支配層はこのときの日ソ衝突を「事件」として扱い「戦争」とはしなかった。明治以降をみると、実は日本が最初に遭遇した近代戦はこのノモンハンだったが、そこから教訓を得ることをしなかった。それが日米戦争という愚挙につながった。
梅 丸山真男のある分析を思い出す。「軍国支配者の精神形態」の中で、戦争責任を問われた被告たちが行った自己弁解の特徴として二つのことを挙げた。一つは「既成事実への屈服」、もう一つは「権限への逃避」。このことが「無責任の体系」につながっていくのだが、今の状況にも奇妙なほど当てはまる。「既成事実への屈服」とは「もう決まったことだから」であり、「権限への逃避」とは「私は全体の責任者ではない」ということ。まさに今、菅首相らが言っているのはそういうことで、つまりは無責任の体系につながっている。
松 そういえば、丸山の有名な言葉に次のようなのがある。
 ――大義と国家活動はつねに同時存在なのである。大義を実現するために行動するわけだが、それと共に行動することが即ち正義とされるのである。「勝った方がええ」というイデオロギーが「正義は勝つ」というイデオロギーと微妙に交錯しているところに日本の国家主義論理の特質が露呈している。(「超国家主義の論理と心理」)
 これなど、菅首相が常に口にする、安心安全な対策を講じているから五輪は安心安全だ、だからやるんだ、という言葉に似ている。それでも感染状況が深刻化すればどうするんだ、という野党の問いかけへの答えになっていない。対策を徹底するから安全だ、これは正義を遂行すれば必ず勝つ、という論理と同じだ。かつて原発建設で流布された安全神話とも同根だ。

歯切れ悪いメディア
松 5月26日付朝日新聞が「夏の東京五輪 中止の決断を首相に求める」と社説で訴えた。今のところ、これ以外に明快な中止論は見られない。
竹 テレビ朝日「羽鳥モーニングショー」のコメンテーター玉川徹氏が比較的明快に述べている。
梅 未知のウイルスの感染下でのオリンピックということからいえば、中止か開催か、もっと喧々囂々あってもいいように思うが…。
松 朝日は東京五輪の公式スポンサーになっている。社説掲載後は「二枚舌」とか「ダブルスタンダード」とか、ずいぶん批判された。これだけでなく、このまま開催されたら競技結果の報道をどうするか、という問題もある。全世界で数十億人が見るという五輪を、1紙だけ、1局だけ報道しないという選択肢があるのか。そこを考えると、簡単に「中止せよ」とは言えない。
竹 主張と報道は別物と考えればいいが、世間がそれで納得しないかも。やはり「二枚舌」といわれかねない。
梅 五輪放映権の一切を握っているNBCのトップは、早くも史上最も利益を生む五輪だといっている。観客を入れるのか入れないのかまだ決まっていないが、どちらにしても観客数には制限がつく。それならテレビの視聴率は上がるという計算だろう。

そもそも「オリンピック」って…
松 今のオリンピックはフランスの貴族クーベルタンがヨーロッパ、ロシアの貴族に呼びかけ、1894年にIOCを作ったことに始まった。東京五輪をめぐってIOC幹部らの上からの物言いが随分癇に障ったが、IOCはもともとそういう体質だ。
竹 冷静に見ればIOCは民間団体。民意の反映がどこにもなされていない。そういう団体の一言一言に国家や都市のリーダーが一喜一憂するという構図が理解できない。
梅 民主的な手続きを経てできた団体でないから、国家や都市の民主主義の手続きに価値を見出さないのではないか。特権意識が強く、冒頭でもあったように独裁やファッショと極めて親和性が高い。実際、IOC会長を務めたサマランチはスペイン・フランコ党の幹部だった。第二次大戦中、ベルリンから東京へと開催都市が決められたが(東京は中止)、これも偶然の出来事ではない。近年、特に言われるのが汚職まみれの体質と商業主義。こんな団体がスポーツと平和をいい、日本の政治家たちがそのまま口にしている。
松 国会の党首討論(6月9日)で菅首相が長々と、1964年東京五輪の思い出話を語ったが…。
竹 時間が限られた中で、あのような薄っぺらな話をするのがどうなのか、という問題はさておき、64五輪を「成功体験」として語るのは無理がある。64五輪の背景には当時の社会状況が大きく影響している。戦後すぐで高度経済成長の機運が満ちていた、人口構成がピラミッド型で生産力、消費市場の伸びが見込めた、それに合わせて高速道、新幹線、住宅団地が整備された…。当時はそうした社会条件があったが、高齢化社会の現在、それらは望めない。さらにパンデミックという負の条件がかぶさっている。ヘーシンクの美談を語っている時か、そんな首相はいらない、ということだ。
松 やめたらいいのに、とみんなが思っているが、決まってしまった路線は変えられない。どうやらかつての戦争と同じ道だ。せめて亡国的な「敗戦」を見ないですめばいいが。



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