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戦争体験の継承と思想化を考える~濫読日記 [濫読日記]

戦争体験の継承と思想化を考える~濫読日記


「『きけわだつみのこえ』の戦後史」(保坂正康著)

 戦没学生の手記を集めた「きけわだつみのこえ」を読んだのは、学生のころだった。当時は岩波新書だったように思う。その前には光文社版もあった。戦時下でありながら日本の敗戦を予見した巻頭の上原良司氏「自由の勝利は明白」「全体主義の国家は(略)最後には敗れる事は明白」の一文は衝撃的で、今でも覚えている。
 しかし、戦後平和思想の原点とか不戦のバイブルとかの言い方がよくなされるが、私自身それほどとは思わなかった。もちろん戦没学生の「こえ」はそれなりに重いが、そのまま受け止めるには、いくつかひっかかるものがあったと記憶する。
 それは大きく分けて、二つのことに要約される。一つは、戦時下という極めて特殊な状況下での思索と、その結果としての文章を平時のわれわれが理解することの困難さ。もう一つは、戦後という時代の制約の中(特に、最初の版が出たのはGHQの占領下である)で編まれた「こえ」の意味(といえば聞こえはいいが、直截に言えば不自然さ)への疑問であった。
 この二つは一つのことの裏表かもしれないが、問題の根源は比較的明らかなように思う。戦時と戦後を分ける価値の転換が国民横断的になされなかった、言い換えれば国民規模の歴史観の形成があの戦争に関してなされてこなかった、そのことが著作の持つ意味の「あいまいさ」につながっているように思えるのである。
 しかし、私はそのことを突き詰めていく作業をしては来なかった。おそらく多くの読者がそうであるように、ただ「きけわだつみのこえ」という著作を通り過ぎた。保坂氏はそうはしなかったようだ。戦没学生の「こえ」が、戦争が終わってどのように編集されたか。なぜそうなったか。それを丹念に追った。その結果の集積が「『きけわだつみのこえ』の戦後史」である。ここで明らかにされた事実は驚くべきものがある。
 戦没東大生の遺稿集「はるかなる山河に」に端を発した戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」は1949年、東大協同組合出版部から刊行された。兄の遺稿を世に出したいと考えた中村克郎氏の思いが実った。中村氏は後に、「きけわだつみのこえ」を編纂した日本戦没学生記念会の理事長になる。こうして組織化された戦没学生の「こえ」を遺す運動は、いくつかのグループに分かれる。ひとつは、学生たちの無念を後の世に遺し、伝えていこうとする集団。もう一つは学生たちの「こえ」を思想化し、政治運動化していこうとする集団である(保坂氏はもっと細かく分類しているが、ここでは簡略化した)。このことをもっとつづめていえば、継承か政治か、である。
 1994年4月の総会で、永年理事長を務めた中村氏は組織から事実上追放された。第4次わだつみ会と呼ばれる後任執行部(保坂氏によれば一部の人々)は、政治色を鮮明にした。それまで内部で議論があった戦争責任と天皇制についての旗幟を鮮明にしたのだ。戦争責任については戦没学生も侵略戦争の加担者であったとし、天皇の戦争責任も問うべきだ、とした。「きけわだつみのこえ」についても「テキスト・クリティークを厳密に行った」新版を出したが、後に多くの「誤謬」や不適切な「改変」が指摘された。第4次執行部は、もはや戦没学生に寄り添わないことが明らかになったのである。
 保坂氏はこうした経緯を、旧執行部側(遺族側)から見ようとした。当事者の話を直接聞かなければ軽々に判断できないが、印象として保坂氏は旧執行部に寄りすぎ(新執行部に批判的)に見える。94年の段階で既に戦後50年を迎えようとしていた。戦没学生の遺族も生き残った同世代人も、社会的活動が難しい年ごろである。残った人々が志を継ぐしかない。あの時代を経験していない世代が編纂すれば、ありえないはずの誤謬も生じる。思想化、政治化の色彩が濃くなることもやむを得ないのかもしれない。
 遺族の視点で「きけわだつみのこえ」を継続し、やがて消えていくのがいいのか、後の世代が、多少の誤謬がありつつも社会的遺産として担っていくのがいいのか。
 いずれにしても、戦没学生の「無念」を私たちの側はどう受け止めるのか、戦後の不戦思想は、あれでよかったのか、よくなかったのか、考えさせられる。
 朝日文庫、860円(税別)。文春文庫から朝日文庫へ。この「揺れ幅」も、考えさせられる。

『きけわだつみのこえ』の戦後史 (朝日文庫)


『きけわだつみのこえ』の戦後史 (朝日文庫)

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
  • 発売日: 2020/12/07
  • メディア: 文庫

 



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