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さすらう高齢者たち~映画「ノマドランド」 [映画時評]

さすらう高齢者たち~映画「ノマドランド」


 ノマドとはフランス語で「遊牧民」。これが英語に転用された。フランスの思想家ジャック・アタリは「21世紀の歴史」で「ノマド」こそ近未来のキータームだとした。市場主義経済と企業のグローバル化で国家は意味をなさなくなり、一部の有能なクリエーター(作家、デザイナー、企業戦略家など)は世界規模のステージで活動、「超ノマド」と呼ばれる。一方で「下層ノマド」も生まれる。グローバル経済が作り出した「超帝国」は多くの貧困層を生み出し、しかも彼らを経済支援するすべを持たない。

 ネバダ州エンパイアは砂漠の中の企業城下町だった。リーマンショックによる金融危機で企業が倒産。町は郵便番号もなくなる事態に。ファーン(フランシス・マクドーマンド)は住む家とともに夫を病で亡くし、途方に暮れた。やがて家財道具を引き払い、キャンピングカーを購入して全米放浪の旅に出た。生活費は年金と、アマゾンなどでのアルバイトで捻出した。
 同じような旅をする仲間とも出会い、そこそこ楽しい毎日だった。作家でユーチューバーのカリスマ的ノマド、ボブ・ウェルズ(ボブ)の集会に参加。末期がんに苦しみながらも旅をやめないスワンキー(スワンキー)、自らを父親失格と思い旅に出たが、家族のもとに帰るべきか迷うデイビッド(デヴィッド・ストラザーン)…。
 しかし、こんな旅がいつまで続けられるのか、不安はいつも胸をよぎった。そんな折り、車が故障。修理費がないファーンは妹に頼らざるを得なかった。快くカネを貸してくれた妹は「なぜ家族といないのか」と疑問をぶつけるが、ファーンは再び旅立ち、デイビッドが帰りついた家庭を訪れた。歓待されたが、落ち着かない思いでファーンは深夜、ベッドを出て車に向かい再び旅に出た…。

 この映画の「ノマド」は、アタリが描いた「超ノマド」とも「下層ノマド」とも違う。米国的フロンティア精神に突き動かされた中間層の流浪の旅である。ボブの集会や、ファーンと妹との対話でも旅は最終的に肯定される。ただ、経済環境の変化が生活基盤を奪い去ったという意味では、下層ノマドに通じる。旅をするのは高齢者ばかりで、みんな喪失感を抱える。そんな中で自由と誇りを求めるファーンの生き方はただの意固地か、それともありか。
 キャンピングカーで一人日本一周したい、なんて夢は夢だけどね…。
 2020年、米国。


ノマドランド.jpg


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BUN

ある女性に聞かれた。
「BIGが当たったらどうしますか?」
「君を連れてキャンピングカーで日本周遊の旅に出る」と応えた。
彼女は黙って聞き流した。家内との夢だった。
by BUN (2021-04-03 22:40) 

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