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消えた原作のスケール感~映画「騙し絵の牙」 [映画時評]

消えた原作のスケール感~映画「騙し絵の牙」


 原作は地方紙の記者経験がある塩田武士。活字文化の長期低落にあえぐ出版業界を舞台に、その生き残り戦略を描いた。
 しかし、映画では、その骨太のプロットが換骨奪胎された。原作は活字メディアの落ち込みに対抗すべく、活字が産み出したキャラクターを映像化し、パチンコ業界やアニメ業界との連携をもくろむという動き(コンテンツのデジタル化が業界再編につながる)を、一人の編集者を通して描いているのだが、そうした戦略的視野は大幅にカットされた。映画は、ある老舗出版社のお家騒動に終始している。
 そのことを象徴するのが冒頭のシーン。文壇の重鎮、二階堂大作の40周年記念パーティーで始まる原作と違って、映画は薫風社の経営トップの葬儀で始まる。このことが、そのまま後のストーリー展開を暗示する。
 薫風社の経営は、創業家の血を引く伊庭惟高(中村倫也)を米国に遠ざけ、営業畑の東松龍司(佐藤浩市)にいったん委ねられる。彼は合理主義者として知られ、速水輝(大泉洋)率いる雑誌「トリニティ」もリストラ=廃刊をにおわされる。東松のライバル、編集畑の常務・宮藤和生(佐野史郎)は、惟高の後見人として存在感を発揮。権力闘争の中、速水はどう生き残るのか…。
 こうした展開に、新人編集者の高田恵(松岡茉優)や、人気モデルで文才を併せ持つ城島咲(池田イライザ)、新人作家の宮沢氷魚(矢代聖)らが絡む。
 で、終わってみれば、結局は一企業の「コップの中のアラシ」以上のものは出てこない。ただの跡目争いである。
 原作が、塩田の問題意識をベースに活字文化のサバイバル戦略を描いているだけに、スケール感のない物語の書きかえは、もったいない感じがいなめない。「牙」プロジェクトなるものが、ただのダジャレの落ちに終わるのも、何をかいわんや、である。「最後の大逆転」という触れ込みも、原作に比べ期待外れ。
 大泉も、こうした展開の中でははまっているとはいいがたい(原作は、大泉をあてがきしたといわれているが)。松岡や二階堂を演じる國村隼は役柄が似合っている。


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騙し絵の牙 (角川文庫)


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