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交錯する個人史と近代史~濫読日記 [濫読日記]

交錯する個人史と近代史~濫読日記

「JR上野駅公園口」(柳美里著)

 日本の近代化は二重構造の中で進められた。出発点は奥羽越列藩同盟である。明治維新の際、薩長土肥の勝ち組に対して、この同盟に名を連ねた藩は負け組となった。以来、東北地方は食糧、労働力、エネルギーの供給源として都市部を支えた。出稼ぎ労働力や若年労働力を提供し、原発が林立した。
 こうした日本の近代化過程を個人史に落とし込んだのが「JR上野駅公園口」である。

 主人公は昭和8年、福島県相馬郡八沢村に生まれた。8人兄弟の長男だが、最後は上野公園に寝起きするホームレスである。なぜこのような境遇になったかが、過去と現在の入り組む語り口の中で明らかになる。言い換えれば、一人のホームレスの体内を、近代日本の歩みが風のように吹き抜けていく。
 物語には「天皇制」という一つの強力な磁場(巻末の解説=原武史=を参照)が働く。作品中、主人公の生年は平成天皇と同じであり、主人公の長男は現天皇と同じ昭和35年に生まれている。舞台となった上野公園も、関東大震災で被災者があふれる様子を見た昭和天皇が、防災上重要として東京府に下賜した歴史を持つ。以来、正式には上野恩賜公園となった。
 上野公園は、天皇が通るたび「山狩り」と称するテント村の撤去が行われた。70歳を超えた主人公が最後の「山狩り」に遭遇した日は、雨が降る冬の日だった。上野公園を後にし、暖を求めて街を転々とした主人公は結局、公園に戻ることはなかった。
 主人公は、終戦時に12歳だった。わずかな田んぼでは一家は生活できず、国民学校を出るといわきの漁港に出稼ぎに行った。それも長続きせず、ホッキ貝をとったりして生活費の足しにした。東京オリンピックの前年、昭和38年に東京に出稼ぎに来て以来、盆暮れを除いてふるさとに戻ることはなかった。地元で働く賃金の3、4倍稼ぐことができた。
 60歳で出稼ぎをやめた。その年後、妻の節子も病死した。長男は既に上京中に病死していた。孫娘が身辺の世話をしてくれたが、若い女性を自分に縛り付けておくのがしのびなく、家を出て東京で暮らす決心をする。住むところのあてがあるわけではない。こうして上野公園にたどり着いた。ビニールシートと段ボールで組み立てた住居での生活である。
 ホームレス同士の交流はほとんどないが、例外はシゲちゃんだった。珍しくインテリで物知りだった。彼の口を通じて上野公園の歴史が語られる。

 個人史と近代史が交錯する物語は福島の大津波と原発事故の光景へと収斂する。巻末の解説で原が指摘するように、天皇制の強力な磁場(呪縛といってもいい)は、個人史の終焉をもってしか終わりえなかった。シゲちゃんが書いた直訴状を持って天皇のパレードを見た主人公は、無意識のうちに手を振っている。脳より先に肉体が反応する。無意識層にまでしみ込んだ天皇制。しかし、この時の彼は、天皇制の磁場によって構成された共同体から排除され、冷たい雨が降る上野公園に放置されたホームレスだった。この転倒した位置関係を修復するものは、極限的なカタルシスしかなかったのである。
 相馬に住む柳美里の力量と作品の重量に感嘆する。不思議なのは、米国で「発見」されるよりも前に日本で「発見」されなかったのはなぜだろう、という点である。貧困の中に放置された人間の内面を描く、という行為に米国社会の同じ境遇の人たちが共感した、と読み取ることは可能だろうか。
 河出文庫、600円(税別)。

JR上野駅公園口

JR上野駅公園口

  • 作者: 柳 美里
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2014/03/19
  • メディア: 単行本

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