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「ぼけ味」こそが魅力~映画「スパイの妻」 [映画時評]

「ぼけ味」こそが魅力~映画「スパイの妻」

 

 映画評論家・蓮實重彦が「傑作」と評した「スパイの妻」を観た。時代は1940年。日中戦争は泥沼化し、太平洋戦争前夜の不穏な空気が漂う。そんな時代を生きた一人の女性を描く。

 映画を観る前に、行成薫の「小説版」(ノベライゼイション?)を読んだ。映画との関連性がよくわからないこともあり、ここで両者の細部の違いを取り上げる気はない。ただ、一点だけ指摘するなら、カメラレンズでいう「焦点深度」の違いである。背景には、もちろん文字と映像という媒体の特性の違いがある。その中で小説版は現代と過去という入れ子構造をとり、時代の細部まで具体的に描く。

 これに対して映像は主人公・福原聡子(蒼井優)の生きざまに焦点を当て、そのほかの事柄はフォーカスの外に置く。例えば貿易商である聡子の夫・優作(高橋一生)は満州に渡り、国家の機密事項に触れてその証拠を持ち帰り、密かに米国に渡るよう企てるのだが、機密が何であるか映画では最後まで曖昧である(小説版では満州での細菌兵器研究=人体実験とかなり明確化されている。つまり焦点深度が深い)。「あなたがスパイなら、私はスパイの妻になります」ときっぱり語った聡子は夫の計画に従って密航を企てるのだが、なぜか計画が事前に漏れ、幼なじみで憲兵の津森泰司(東出昌大)らに摘発される。なぜ計画が漏れたか、だれが何のために密告したかも曖昧である。

 夫は日本を捨て、聡子は残される。その後の優作の生死は不明である。神戸大空襲(1945317)を生きのび、海辺で泣き崩れる聡子にナレーションがかぶさる。戦争が終わった翌年、優作の死が確認されるが死亡診断書には偽造の跡が見られる。そして数年後、聡子も米国に渡る。二人の戦後の足跡はフォーカスの外に置かれる(実は、小説版ではもっと現実的で違う結末が控える)。

 しかし、この映画では、蓮実も評しているが、曖昧さこそが特質である。焦点深度の浅さによって花弁の繊細さ、美しさが引き立つがごとく、この映画は作られている。ヴェニス映画祭で評価されたように、ここは黒澤清監督の手腕であろう。作中、9.5㍉フィルム映写機が小道具として頻繁に登場するが、蒼井の存在感=狂気と紙一重の情愛=に支えられた中心部は鮮明で四辺がぼけた画面、味わい深いそれ、を見ている趣がある。

 2020年、日本。

 

スパイの妻.jpg

 

スパイの妻 (講談社文庫)

スパイの妻 (講談社文庫)

  • 作者: 行成薫
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2020/05/15
  • メディア: Kindle版
 

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