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全体主義国家がもたらしたもの~濫読日記 [濫読日記]

全体主義国家がもたらしたもの~濫読日記

 

「シベリア抑留 スターリン独裁下、『収容所群島』」の実像」(富田武著)

 

 「シベリア抑留」と聞いて頭に浮かぶのは石原吉郎、香月泰男。最近では小熊英二の「生きて帰ってきた男」。このうち石原は詩作によって、香月は絵画によってその体験の内的な意味を深めた。小熊の「生きて…」は、社会学者による実父からの聞き書きという、かなり特殊なシチュエーションの中で生み出されたが、いずれにしても、あるのは庶民による過酷な体験(の伝承)であった。

 富田武の「シベリア抑留」は、これらとはかなり違っている。何がどう違うか。

 スターリン体制下の強制労働の成り立ちから始める。つまり、シベリア抑留という三重苦(飢餓・酷寒・重労働)の体験の源流を探るところから始める。そこから独ソ戦でのドイツ側捕虜の扱いに視点を移す。石原や香月、小熊がミクロの視座にこだわったのとは対照的に、富田はマクロの視座を持ち込む。富田自身の言葉では、こうなる。

 ――本書は、通念としての「シベリア抑留」をより大きな地理的広がりと歴史的文脈に位置づけ直し…(後略)

――シベリア抑留が日本人固有の悲劇ではなく、内外数千万の人々を苦しめた「スターリン独裁下の収容所群島」の一環であったことを世界史的視野から構造的に理解してくだされば幸いである。(いずれも「まえがき」から)

 キーワードは「世界史的視野」である。この観点でいえば、20世紀の最も過酷で大規模な戦争は独ソ戦であり、ドイツ側の捕虜は200万人を数えたという(日本人捕虜は60万人と言われる)。さらに第2次大戦の終了時、ソ連は革命から30年足らずで、数次の5か年計画を遂行中であったことも大きな意味を持つ。こうしたマクロ状況の中に日本人の「シベリア抑留」体験を位置付け直せば、どのような景色が見えるか。これがこの書のポイントであろう。

 そして、誤解を恐れずいえば、こうしたマクロの図面をトレースする作業はもっと早くに行われるべきではなかったか。少なくともソ連崩壊直後には着手していてしかるべきだった、と思う。

 以上のような観点から、スターリン体制下の強制収容所の実態―強制労働による社会主義国家建設▽ドイツ軍の捕虜の実態―ソ連政治犯だけでなく戦時捕虜までも国家建設に投入された▽日本軍捕虜と民間人の満州からの強制送還―三重苦の中での国家インフラ整備▽ソ連が占領した南樺太・北朝鮮での日本人の扱い―シベリア抑留から労働不適者の逆走…と展開する。

 このようにこの書をとらえ返したとき、新しい史実はあるのか、従来の「説」の焼き直しではないのか、との疑問の声は出るかもしれない。しかし、シベリア抑留がスターリン体制によって必然的にもたらされた、とする観点が確固として示されたことはこれまでなかったように思う。ユダヤ人虐殺がナチズムによって必然としてもたらされた、という観点は既に示されており、歴史が産み出した「非人間的なシステム」のもう一つの全貌が、ここで明らかになったといってもいい。

 こうした意味では1949年5月、日本人捕虜6万人余りが署名したとされるスターリン大元帥への感謝状というエピソードは、収容所群島が持つ本質を逆照射している(感謝状のエピソード自体は新事実ではない)。スターリン体制が産み出したものだからこそ、このような行動に直結するのであろう。

 著者は終章で、日独捕虜の比較論の深化とともにソ連人捕虜との比較論も提唱している。捕虜となった日独ソの人たちは、国こそ違えいずれも全体主義体制下の犠牲者であるからだ(この三国は捕虜となることは恥辱とし、ジュネーブ協定を無視したことで知られる)。考えさせられることの多い一冊。

 中公新書、860円(税別)。

 


シベリア抑留 - スターリン独裁下、「収容所群島」の実像 (中公新書)

シベリア抑留 - スターリン独裁下、「収容所群島」の実像 (中公新書)

  • 作者: 富田 武
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2016/12/19
  • メディア: 新書

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