あの48本は戦後史の中で何だったか~濫読日記 [濫読日記]
あの48本は戦後史の中で何だったか~濫読日記
「『男はつらいよ』を旅する」(川本三郎著)
BSの民放チャンネルで週1回「男はつらいよ」シリーズを放映している。可能な限り観ている。昨年、この時間帯は「釣りバカ日誌」シリーズだった。関係者には申し訳ないが、少しも面白くなかった。もはや古いのである。しかし「男はつらいよ」シリーズは見入ってしまう。製作年からすれば、こちらが古いはずなのに。なぜだろうと考えてみたが、いい答えが思い浮かばなかった。
映画評論家で文芸評論家でもある川本三郎の「『男はつらいよ』を旅する」を読んで、おぼろげながらその答えが見つかったように思う。「釣りバカ」は西田敏行演じるサラリーマン「浜ちゃん」が主人公。窓際とはいえ、まぎれもなく現代を生きる物語である。現代を描けば、時とともに古くなる。人々の関心も薄れていく。しかし「男はつらいよ」に「現代」は遠景としてしか出てこない。「寅さん」は昔気質のテキヤだし、出てくる町は葛飾・柴又のほか古いところばかり。それもメジャーな観光地ではなく、さびれた辺境の地が多い。人々も、文字通り市井の片隅で生きている。時に高名な日本画家や陶芸家も登場するが、見せるのは一流人らしからぬ横顔である。
「男はつらいよ」で描かれたのは「現代」とも「新しさ」とも「メジャー」とも無縁の、ひっそりと生きる人々と家並である。そこに共感を覚えて「寅さん」ファンになる。消えかかった町へのそんな思いが「男はつらいよ」シリーズを支えた。だから「男はつらいよ」は時を経ても古くならない。
消えかかった町の物語がそんなに面白いのか、という声もあるだろう。そこで、シリーズのもう一つの魅力を挙げたい。「現代」を生きるのに疲れ、立ち止まる人たちがいる。どこかで救いを求めている。そんな人たちが汐待港、風待港のようにいっとき避難する場所へ向かう。そこに寅さんがいる。ヒロインに降りかかる雨風が強ければ強いほど、寅さんが頼りがいある存在に見える。いつも見かけだけなのだが。
そんなヒロインを演じて記憶に残るのは、まず浅丘ルリ子、そして松坂慶子、太地喜和子、いしだあゆみあたり。みんな「あと一押ししてくれればいいのに」と思っているが、寅さんにはそれができない。トランク一つ下げて出ていってしまう(実は昨夜=7月11日、浅丘と共演の「相合い傘」を観たが、これもその典型だった)。
「男はつらいよ」シリーズは1969年から95年まで、渥美清存命中に48本作られた。渥美が40代前半から60代後半までである。肝臓がんが分かってからの2本はつらかったようだ。そんな「男はつらいよ」撮影地めぐりを、川本は「ハイビスカスの花」(80年)で書き始め「紅の花」(95年)でしめくくった。いずれも、相手役は浅丘である。じつはこの2人のコンビこそ最強だったと思う。だからこそ、48作目は浅丘でなければならなかったのだろう。
「男はつらいよ」には、定住者と漂泊者という構図もある。さくらや博、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長は定住者である。対して寅さんは、定住者になろうとして果たせず漂泊する。浅丘演じるリリーもまた、漂泊者である。旅のわびしさ、孤独感は痛いほど通じる。だから、いつか一緒になってもいいよと思っているが、寅さんには「意気地」がない。
そういえば、寅さんの「意気地のなさ」がよく分かる作品があった。いしだあゆみとの「あじさいの恋」である。偶然、親しくなった陶芸家のもとには、幸せ薄そうな女性「かがり」がいた。彼女は弟子との恋に破れ、故郷の伊根に帰ってしまう。若狭湾に面した、船泊がある家並で知られた町。その後、彼女のもとを訪れた寅さんは一夜を共にする。何もないまま翌朝去っていく寅さんを、かがりは「どこかつまらなさそうに」(川本)見送る。
「夕焼け小焼け」(76年)も、川本が言うようにシリーズ中の名作だろう。上野の居酒屋で、カネがなくて困っている老人(宇野重吉)を不憫に思い、とらやに連れ帰る。わがまま三昧の老人に手を焼くおばちゃん。ところがこの老人、横山大観と並ぶ日本画の大家池ノ内青観だった。旅に出た寅さんがふらりと立ち寄った播州龍野。そこで偶然、青観と芸者ぼたん(太地喜和子)に出会う…。とにかくこの作品、終わり方がいい。
こんな話が鉄道好きの川本の筆で、列島の片隅を走る鉄道や駅、あるいは廃線の今を交えながら展開される。鉄道の話では「『さくら』も旅する」の「奮闘編」(71年)にある五能線が出色。集団就職で出てきたらしい少女が、仕事についていけず故郷へ帰っていく。彼女の言う「鯵ヶ沢」を手掛かりに寅さんが様子を見にいく。ところが、そこから届いたはがきがあまりに暗く、心配したさくらが寅さんを捜しに行く。五能線は青森・五所川原から秋田・能代間。さくらが降り立った驫木駅は日本海に面して「レールが置き忘れられたように走る」(川本)無人駅。ホームに立って、こんなところから都会に出てきてさぞ心細かったろう、と川本は思いをはせる。
寅さん、鉄道、消えゆく日本の風景。そんなものが詰まった一冊。巻末に「男はつらいよ」一覧(製作年のほか、競演女優の名入り)と人名、作品名の索引があればもっといい。
「男はつらいよ」は、川本も触れているがB級娯楽作品とみられがちである。しかし、あらためて観ると味わい深さにしみじみ感動する。日本の戦後史の中にきちんと位置付けられるべきだろう。そうした視点で、このシリーズを論じたものがあってもいい。管見の限りでは菊地史彦「『幸せ』の戦後史」で、股旅物や「無法松の一生」をベースにしながら(山田洋次監督が)「戦後的階層意識を脱する主人公を形成した」「秩序や競争から自由な者」だが「ぎりぎりのところで故郷喪失を免れている」「戦後社会の趨勢からドロップアウトしたものの、批判者として振る舞うことはなかったので、人々は四半世紀にわたってこのヒーローを支持し続けた」「『何者かになれない自分』の無能感を甘美な夢のように繰り返す、不思議な男の物語を語りだした」としているのが唯一、記憶に残る。
「男はつらいよ」を観に映画館に通った人たち、そして今もこのシリーズに共感する人たちは「何者かになれない寅さん」に自分を重ね合わせ、甘美な夢のようなストーリーの向こうに何を観ていたのだろうか。今も心の中にオリのように落ちていく謎である。
新潮選書、1400円(税別)。
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