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人類と疫病を考える~濫読日記 [濫読日記]

人類と疫病を考える~濫読日記

 

 コロナ禍が去らない。私自身、映画館通いは再開したものの、その他の外出は依然不便なままである。そんな日々の中、疫病と人類を考える何冊かの本を読了した。以下、その印象をまとめた。

 

 ダニエル・デフォーの「ペスト」。「ロビンソン・クルーソー」で知られる作家である。1665年、悪疫(ペスト)に襲われたロンドン市内の様子を臨場感あふれる筆致で再現した。

 予兆は前年秋にオランダであった。これがロンドンに飛び火したのはその年12月。冬の寒さでしばらく鳴りを潜めたが、2月になるとあっという間に市内を席巻した。その時の不気味な様子を、デフォーは当時発行されていた死亡週報に基づいて描いた。

 デフォーは1660年(一説には61年)にロンドンに生まれ、1731年に没した。ペストが市内に蔓延したころはわずか5歳に過ぎなかった。直接見聞きしたことを作品にしたというより、後世になって取材したものをもとに「小説」に仕上げた、ということだろう。

 翻訳した平井正穂氏が「解説」で「ペスト」が世に出るまでをまとめている。「ロビンソン・クルーソー」を出版した翌年の1720年、マルセイユでのペスト流行を知る。市内人口の6分の1、約7万5000人が亡くなった悲劇の再来を恐れたデフォーは、当時の様子をまとめた「ペスト年代記」を匿名で出版した。

 北里柴三郎らによってペスト菌が発見されたのは1894年である。当然ながら1665年当時、ペストがどのようにして流行するのか分からなかった。大気が変質して、とか地震で大地に裂け目ができ、ガスが噴出して、とかさまざまな説が飛び交ったという。加えてデフォーが生まれた時代は清教徒革命による共和制から王政復古へと転回、「神学の時代」とも呼ばれた。こうした背景から、ペスト流行を「神のおぼしめし」とする考え方も濃厚だったようだ。

 

 ウィリアム・H・マクニールの「疫病と世界史」(上下)は、古代文明の始まりから現代にいたる病原菌と人類の離れがたい関係をまとめた。

 アフリカ大地溝帯で二足歩行による地上生活を始めた人類は、数億年単位の年月の中でチームプレーによる狩りを覚え、食物連鎖の頂点に立つ。やがて大移動を始め、熱帯から温帯へと居住域を変更する中で家畜を飼うこと、植物を計画的に栽培することを覚える。すなわち、農業が成立する。このころには、衣服をまとうことや住居を持つことも覚える。条件が良ければ、農業による収穫は自分たちで食べきれないほどになる。余剰生産物の交換や、場合によっては収奪が行われ、収奪に備えた防御も必要となった。こうして文明が始まると同時に、動物を宿主とするウイルスや細菌が人間に取り付き、疫病が流行する。

 疫病と文明は離れがたい関係にある、というのはレトリックでも何でもなく、事実なのである。古代エジプト、古代ギリシア、ローマ帝国、モンゴル帝国、すべて疫病に悩まされた。ローマ帝国で牛を宿主とする天然痘とヒトを唯一の宿主とするはしか、あるいはネズミを宿主とするペストに悩まされ、滅亡に向かったこともよく知られる。

 興味深いのはモンゴル帝国とペストの関係である。ペスト菌はネズミの巣に自生し、ネズミのノミが血を吸うことで人間に感染する。もともとインド、中国国境のヒマラヤ地方に源流があるとされ、やがてインド、中国へと広がって世界に伝播した。その過程で、中国を征服したモンゴルが高速でユーラシア大陸を移動したことから、ユーラシア大陸北部の草原にペスト菌の居住区ができたという。

 ペスト菌は、シルクロード交易によっても移動した。これがローマ帝国にペストをはやらせた。

 ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」(上下)でも触れているが、メキシコのアステカ文明、ペルーのインカ文明は、なぜあれほどまでに簡単にスペイン軍に屈したか。そこでは疫病との関係が見逃せない、とマクニールも指摘する。

 ヨーロッパとアフリカ、ユーラシアの住民は約4000年の間に少しずつ接触を重ねた。しかし、スペイン軍とメキシコの住民が初めて接触したのは16世紀の初めである。ヨーロッパ人にとっては免疫になった天然痘がアステカの住民を襲った。戦いの中でアステカの民だけが倒れていく様を見て神の仕業、と思ったのも不思議ではない。かくしてアステカの民はこぞってキリスト教の神へと恭順の意を示したという。

 インカ帝国へも、天然痘が襲い掛かった。その後、新大陸にはペストや黄熱病が上陸し、二つの文明は完全に消え去ったのだという。

 

 カミュの「ペスト」は半世紀ぶりの再読である。「きょう、ママンが死んだ」で始まる「異邦人」と合わせて読んだ記憶がある。アルジェの地方紙記者からパリの言論界に迎えられ、戦況の悪化のなかで反ナチ運動を担った経歴から、ペスト=不条理=絶対悪=ナチスドイツの類推を下敷きに読んだ記憶がある。いま、ペスト=ナチを排除しながら読んでみた。

 デフォーの「ペスト」が「神」の色濃い影をまとっているのに対して、カミュのそれは、徹底的に「神」を排除し、不条理との戦いを人間世界で完結させようとしているのが印象的である。

 

 「だって、君は神を信じていないんだろう」

 「だからさ、人は神によらずして聖者になりうるか―これが、今日僕の知っている唯一の具体的な問題だ」

 

 カミュが「ペスト」を書いたのは1947年である。この時代に、キリスト教でもなくコミュニズムでもなく人間を信じる、というカミュの思想を示す一文である。

 

 今のコロナ禍と情況を通じさせる一言もある。こんな言葉だ。

 「あなたは抽象の世界で暮しているんです」

(略)

 「抽象と戦うためには、多少抽象に似なければならない」

 

 コロナとの戦いは、抽象との戦いでもあるのだ。

 

 

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ペスト(新潮文庫)

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