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今も有効な戦後思想批判~濫読日記 [濫読日記]

今も有効な戦後思想批判~濫読日記

 

 「『サークル村』と森崎和江」(水溜真由美著)

 

 著者の水溜は序章で、博士課程進学後に森崎の「ははのくにとの幻想婚」を読み「評論の密度の濃さ、ユニークさ、そしてテーマの多様性に圧倒された」と書いている。1972年生まれの水溜が「ははのくにとの…」に触れたのは、早くても1994年か95年ごろだろう。敗戦から50年後のこのころ、戦後史の大きな節目が訪れていた(ちなみに95年は阪神大震災、オウムの地下鉄サリン事件の年である)。この時代になぜ水溜は、自身が生まれる少し前に出された著作に心を奪われたのか。戦後の出発点でもあるカオスの時代、1950年代から60年代初頭にかけて展開された「サークル村」運動にまで関心の領域を広げたのはなぜか。大いに興味を持ち、この「『サークル村』と森崎和江」を手にした。

 水溜は森崎和江にまず関心を持ち、そこから思想的にも日常的にもパートナーであった谷川雁、サークル村運動の同志であった上野英信へと視野を広げていく。そこから、総資本対総労働の闘いといわれた三井三池闘争、その後の退却戦であった大正鉱山闘争、そして安保闘争にいたる分析を通じて50年代から60年代の時代性が何であったかにたどり着く。

 しかし、この分厚い著作は、思想的に分け入った足跡とは全く逆の方向性のもとに編纂された。即ち、1950年代の労働運動を俯瞰することから始め、炭鉱労働者のサークル運動と労組の関係、谷川のサークル構想、上野のサークル実践と展開。最後に森崎を語っている。

 「おわりに」で触れられたように、この著作自体は著者・水溜の博士論文に大幅な加筆修正を加えたもので、全体としての論文的構成は避けられないように思える。そのうえでなお、時代背景から入り森崎の思想論に向かう道筋は、これでいいのか、という思いがしないでもない。

 その点で多少の引っ掛かりはあるものの森崎、谷川、上野、そして当時のサークル運動をひっくるめての壮大な時代論である、という評価は揺るがない。余談に近いことを言えば、博士論文の審査で、森崎和江論に比べ「サークル村」論の評価が低かったと著者が漏らしているが、この点は同じ感想を持った。一言でいえば、森崎和江論の方が、圧倒的に熱量が高いのだ。

 そんなわけで、森崎論に焦点を当てる。「森崎和江における『交流』の思想」と題されている。植民地朝鮮で幼少期を過ごした森崎は閉鎖的・排他的な日本の伝統的共同体の体質に鋭い批判の目を向けた。それはナショナリズム批判にもつながり、「サークル村」運動や大正闘争を担った集団の体質の根にも刃は向けられた。そこから森崎独特の「交流論」へと展開する。

 エネルギー革命による鉱山の大量合理化に直面したことで、労組からも捨てられた底辺の労働者は「異族」との接近を迫られた。「異族」とは朝鮮人であったり、被差別部落民であったりする。近代日本の底辺に押し込められた人々である。森崎によればそれは、朝鮮人に「同化」を求めた植民地政策とは違う、他者との自覚的な「交流」というかたちをとるべきであった。しかし、近代日本の縮図の中で、そうはならなかった。

 ―森崎によれば、日本の民衆は国家によって引き合わされた「異族」をもっぱら共同体への同化をもって遇し、「異族」との間に自立的な関係を築きえなかった。また、だからこそ日本の民衆は、敗戦に伴う植民地の喪失やアメリカによる占領の継続といった政治の要請により朝鮮人や沖縄人が「日本」の外部に位置づけられるや否や、たやすく彼ら彼女らに対する関心を失ったのである。

 水溜を通じて語られた森崎の観点は、今も戦後思想批判としての有効性を失ってはいないように思う。

 森崎は、大正行動隊に巣くうどうしようもない家父長制の残滓も批判する。そして発行したのが「無名通信」である。妻でも母でもない、女という冠詞さえもいらない。ただの人間として扱ってほしい、との願いを込めて「無名」とした。そして、家庭内の性分業を前提にして労組の補完的役割を担った炭鉱労組の主婦組織をも標的とした。この思想的営為もまた、残念ながら未完に終わっている。では、森崎は男女の関係をどのように築こうとしたか。水溜によれば、以下のようになる。

 ―男女がともに労働を担いながら、対に閉ざされることなく友情と愛を育んでいくような関係性こそが、森崎が理想とする関係性の原イメージだった。(「森崎和江の女性論」、271P)

 森崎は「からゆきさん」に対しても独自の視点を持った。近代日本の被害者として見ていただけではなかった。「日本と、日本のそとのくにの人たちとの、からだをかけた媒介者のように思えます」(315P、森崎著「わたしと言葉」から)。

 多くの場合、このことは「可能性」の次元で終わったかもしれないが「からゆきさん」に交流者=媒介者を見ようとしたのである。背景には「からゆきさん」を生んだ地が天草や島原といった辺境であり、国境より日常的生活領土を優先させる「眼差し」を持つ民であったことがあると、森崎は指摘する。しかし、こうした交流の試みの芽はやがて摘み取られた。日本によるアジア侵略によって、である。

 こうしてみると「いまなぜ森崎和江か」という問いの答えの一端が見えてくるように思う。彼女は炭鉱の地底に押し込められた労働者と「異族」との間に交流と連帯を構想した。地底から向けられた眼差しであったことで、批判は近代日本を貫く射程を持ちえた。このことの意味は、半世紀以上を経てなお有効であるように思える。

 ナカニシヤ出版、3800円(税別)。

 


『サークル村』と森崎和江 ―交流と連帯のヴィジョン―

『サークル村』と森崎和江 ―交流と連帯のヴィジョン―

  • 作者: 水溜 真由美
  • 出版社/メーカー: ナカニシヤ出版
  • 発売日: 2013/04/19
  • メディア: 単行本

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