日常に潜む不条理と破滅の予感~映画「影裏」 [映画時評]
日常に潜む不条理と破滅の予感
~映画「影裏」
沼田真佑の短編小説を映画化した。2017年、デビュー作であるこの作品で文学界新人賞、芥川賞を得た。
主人公の今野秋一(綾野剛)は埼玉の薬品会社から岩手の子会社に出向となっていた。そこには同じ齢の日浅典博(松田龍平)がいた。内向的な今野と無頼な日浅は性格こそ正反対だったが、休日には日浅に連れられ、渓流釣りを楽しむ仲になっていた。そんな日浅がふっつりと会社を辞めた。
しばらくして今野の前に現れた日浅は、冠婚葬祭の互助会の営業をやっていた。再び以前の付き合いを取り戻した二人は、渓流釣りに出掛ける。そして2011年の3月11日。日浅の消息が途絶えた。「日浅は亡くなったらしい」との情報が、今野の耳に入る。
今野は思い立って日浅の父親(国村隼)を尋ねた。そこで聞いた話は、日浅の人生そのものを否定するような内容だった。日浅を息子とは認めず、捜索願も出さないという。
ストーリーとしてはこれだけである。しかし、もともとミステリーではないのでストーリーテリングの着地点に意味を求めても仕方がない。意味があるのは今野の日常の背後にひそむ心理の緻密な描写である。そしてそこから立ち上がる、ただならない崩壊と破滅の予感、断片でしかない日常が醸し出す不条理感であろう。
映画でこれらは表現しえたか。全編にわたって暗色に仕立てた画調はその答えの一つであるが、破滅や不条理を前にしての心理の揺らぎは今一つ描写が足りていないように思う。一方でホモセクシャルな主人公の性向が、映画ではかなり端的に表現された。原作では、男性から女性へ性別適合手術を受けたかつての恋人の存在があり、主人公の性向をにおわせてはいるが、ここまで露骨な表現が要ったかどうか、若干の疑問を感じないでもない。
タイトル「影裏」が何を意味するかなど(日浅の言葉で若干の言及があるとはいえ)、見るものが置いてきぼりを食う恐れのある作品。したがって、原作は観る前に読んでおいた方がいい。「影裏」を収めた短編集には「廃屋の眺め」「陶片」の2作も入り、沼田真佑の志向するものが何であるかも理解できる。
映画は2020年、日本。監督は大友啓史。短編集は文春文庫、550円(税別)。
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