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この有限な地球を守るには~濫読日記 [濫読日記]

この有限な地球を守るには~濫読日記

 

「現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来」(見田宗介著)

 

 米ソ冷戦が終結して以降、人類は世界像がつかめないでいる。サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」、エマニュエル・トッドの「帝国以後」などが一定の射程で世界を見通したが、決定的ではなかった。そんな中でこの「現代社会の理論」を手にした。

 岩波新書1冊分と軽量だが、内容は外見と同じく軽量とはいえない。

 まず目につくのは、マルクスを肯定的に評価しながらその先に独自の理論を付け加えたことである。マルクスは1818年に生まれ1883年に没した。見田はこの時代背景に注目する。確かに、マルクスは「短い20世紀」(エリック・ホブズホーム)の帝国主義戦争と革命の時代、そして国家総動員体制の時代を予見したが、1950年代以降の大量消費・大量生産の時代を知らなかった。見田の見晴るかす時代の骨格はここに視点を置いている。すなわち、大量消費・大量生産がもたらす物質文明の先に、高度な情報化/消費化社会を見出すことはできないか、という問題意識である。

 マルクスは、物質的需要の有限性が市場の縮小を生み、恐慌を招き、新たな需要喚起のための戦争が起きるとした。市場の拡大=帝国主義、需要の喚起=帝国主義戦争という考え方である。しかし、見田は第2次大戦後、こうした観点からの戦争は起きていないとし(この認識は果たして正しいか。おそらく異論もあるだろう)、背景として新たな需要喚起のための手法の発見があるとした。これが情報化/消費化社会の発見である。

 マルクスは生産主義による市場の拡大と需要の充足を考えた。しかし、これには過去の歴史が物語るとおり、恐慌と戦争が不可避のものとして立ち上がってくる。高度な情報化社会によって、物質的必要性からではない、新たな需要喚起ができないか―。

 そこに「モード」と「無限の市場」を見出したのである。

 この理論には、おそらく左右両方から批判があるだろう。見田自身も末尾で触れていた。あまりにも理想主義ではないか。あるいはあまりにも現実肯定ではないか…。どちらもが批判の対象としたのは、市場経済を認めるという点である。市場という「猛獣」を、人間は従わせることができるのか。

 しかし、市場経済を認めなければ、どんな方法があるというのか。個人の自由をも規制する計画経済が有効性を持つ時代はもう来ないだろう。そうであるなら、もはや有限であることがはっきりした資源と環境のために、市場という猛獣を、鞭を使ってでも従わせるしか方法はないように思う。もし、高度な情報化/消費化社会であれば、そこは鞭なしで、人間の知恵で未来を見通すことはできないか…。これが、見田の描く世界像である。

 書の構成は極めて簡素で、かつ原理的である。まず、情報化/消費化社会の必然的な未来について語り(第1章)、次にその社会がもたらす「影」の部分に触れる(第2、3章)。最後の第4章で、光と影を統合する理論について語る。

 第1章では20世紀の米国を念頭に「モードが無限の需要を自己創出する」というテーゼを引き出すあたりが魅力的である。米国でそれが開花したのが1950年代であった。第2、3章では、物質の大量生産と大量消費に依拠した資本の論理が行き着いた地球資源と環境の有限性、そして南北の貧富の格差(見田は、留保付きで「南北格差」という言葉を使っている)。南北問題では、資本と市場経済のもとでは、人間は二重の疎外を受けている、という。すなわち、まずは土地や自然から疎外され、次に貨幣経済の中での疎外(つまり貧困)を受けている、とする。人間は貨幣がなくても生きることは可能だが、そうした選択を拒まれ、かつ貨幣経済下での生活を強いられる中で貧困がある。この辺は、「幸福とは何か」を考えさせられ、見田のオリジナリティーがあふれている。

 見田社会学では「幸福」という概念が重要視されているように思うが、幸福は必ずしも貨幣によって(言い換えれば金銭的な富によって)もたらされるわけではないのだ。

 第4章での核心は、「消費」という言葉の持つ二重性である。見田は、バタイユとボードリヤールが使う「消費社会」という言葉の微妙な位相差について語る。バタイユのそれはconsumation(激しい高揚)、ボードリヤールはconsommation(完遂、成就)である。バタイユの概念は祝祭社会に近く、ボードリヤールは物質社会に近いように思える。いうまでもなく見田は、バタイユのそれに近い情報化/消費化社会を見ている。この微妙な差異の中に、現代社会の行く末が見出されるのではないか、新たな無限市場が見出せるのではないか―言い換えれば必要の地平へではなく、歓びの地平へと着地する道筋はないか―という。

 先に触れたように、この論には賛否両論があるだろう。しかし、現状のままでは地球は行き詰ってしまうことも、また確かなことなのだ。そうしたことを考えるには、極めて刺激的な1冊。24年前に第1刷が出て、いま33刷である。

 岩波新書、720円(税別)。

 

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

現代社会の理論―情報化・消費化社会の現在と未来 (岩波新書)

  • 作者: 見田 宗介
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1996/10/21
  • メディア: 新書


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