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文明とは何かを多角的に語る~濫読日記 [濫読日記]

文明とは何かを多角的に語る~濫読日記

 

「超高層のバベル 見田宗介対話集」

 

 タイトルは「バベルの塔」の神話からとった。人間が神の領域に近づこうと無限に高い塔をつくったが、怒った神が壊してしまった、という。人間の傲慢さを戒めたものだが、見田はここに脱神話の視点を持ち込み「無限の進歩」という近代の幻影をみた。即ち「超高層のバベル」とは、自然を離れ無理を重ねて壊れかかった現代文明を指している。それは個人の内部に誰もが持つ「軋み」でもある。

 現代文明とはなんであり、そこで生きる現代人が見ている風景とはどんなものか。11人との対話を通して探ったのが、この「超高層のバベル」である。あらためて11人のリストをみると、その多様さに驚く。心理学者、小説家、思想家、政治学者、脚本家、文芸評論家。三浦展のように社会デザイン研究者と紹介された人物もいる。その多様さは、見田という社会学者の視点の多様さを表してもいる。そのすべてを紹介できないので、印象に残った人物だけを取り上げる。

 1985年、戦後40年という節目に行われた大岡昇平との対話。ここで見田は、戦後を振り返って2波にわたって激動の7年間があったと指摘する。1945年からと、60年代後半。1波は戦後アプレゲール、2波はその子供の世代で「世代の循環」が起きているという。1997年に行われた吉本隆明との対話。近代以降の人間は外に自然、うちに精神があるとの前提で物事を考えるが、賢治は自然にも精神があり、うちにも自然があると考えたのではないか。ともに賢治論を持つ見田、吉本の一致した見方のようである。

 1971年に行われた黒井千次との対話。虚無を抱えながらも熱中を求める若者の心理分析が面白い。資本主義とはなんであるか、完全ではないとしても大枠で理解して社会に出た場合、仕事にも組合運動にも乗り切れない(非常にわかる心理だ)。すると、むしろ冷めながら熱中する、道具として正確に機能するという存在になる。これは、最初から熱中している人間より、管理する側としては使いやすい(我が軌跡を振り返ってみても、納得のいく指摘だ)。では、どうすればいいか。本当の熱狂(狂気)を受け止める組織、ある種の亡命者を受け入れる、もう一つの組織がありうるのかどうかと黒井は問う。

 2016年の加藤典洋との対話。見田は真木悠介というペンネームと本名を使い分けているが、この「使い分け」に加藤はこだわっている。そこで、見田の答えは、見田という名前にまつわる過去のイメージに縛られたくなかった、自分を純化して解放する方法としてのペンネームだった、すなわち「家出なんですね」という。加藤は逆の視点で、見田にとって社会学は拘束衣のようなもの、と指摘していた。ともに面白く、よく分かる表現である。

 死者と生者、文明と存在論、そして戦後論、多くのことが刺激的に多様に語られている。

 講談社選書メチエ、1900円(税別)。


超高層のバベル 見田宗介対話集 (講談社選書メチエ)

超高層のバベル 見田宗介対話集 (講談社選書メチエ)

  • 作者: 見田 宗介
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/12/12
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

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