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非人間的な労働現場に怒り~映画「家族を想うとき」 [映画時評]

非人間的な労働現場に怒り~映画「家族を想うとき」

 

 AMAZONや運送業界の過酷な労働環境が、潜入ルポや現場からの告発によって社会問題化している。新自由主義の先鋭化したかたちが影を落としているようだ。こうした環境の中、崩壊一歩手前で立ち止まろうとする家族の叫びを描いたのがケン・ローチ監督の「家族を想うとき」である。

 英国ニューカッスルに住むリッキー(クリス・ヒッチェン)は、銀行取り付け騒ぎのあおりで住宅ローンが流れ、以来賃貸住宅と一時雇いの生活を続けてきた。そんな折り、友人の誘いを受けて借金完済とマイホーム建設を夢見て運送業界に飛び込んだ。現場監督のマロニー(ロス・ブリュースター)から告げられたのは、フランチャイズのオーナー制度であるということだった。車は自分持ち、一日に一定の仕事をこなせば、それが自分の収入につながる。車を手に入れるため、パートの介護士をしていた妻アビー(デビー・ハニーウッド)の車は売らなければならなかった。

 しかし、実際に仕事を始めると、ノルマに追いまくられる毎日だった。1日14時間、週6日の勤務。任された配達コースをこなすには、車を数分間離れることもできない。ノルマがこなせなければ他のドライバーが取って代わる。非人間的な労働環境の中、リッキーはいつしか家族を顧みることができなくなっていた。

 彼には高校生の息子セブ(リス・ストーン)、小学生の娘ライザ(ケイティ・プロクスター)がいた。以前は真面目だったセブは父親の不在が増えるにつれ非行が目立つようになり、ついに学校から呼び出しがかかった。アビーは同行するよう懇願したが、リッキーは仕事を離れることができなかった。マロニーに休暇を申し出たが、代わりの人間を探せば済むことと取り合ってもらえなかった。仕事を終えて学校にたどり着いたものの、校長は帰った後だった。こうしてセブの非行はさらに深刻なものになっていった。車がなくバスで訪問先へ向かうアビーも疲れ果てていた。

 業務中のリッキーはある日暴漢に襲われ、重傷を負った。そのことを病院から携帯電話で報告すると、マロニーから告げられたのは壊れた通信機器の賠償金を払え、というものだった。そばでやりとりを聞いたアビーは思わずマロニーにののしりの言葉を浴びせた。

 しかし、それでもリッキーは仕事に向かわなければならなかった。休めば罰金を取られるだけだからだ。翌日早朝、リッキーは起きだして配達業務で使う不在通知票にメモを書き残して出ていく…。

 原題は「Sorry We Missed You」。配送業者が不在通知で使う常套語である。もちろん、ここではそうした意味ではなく、文字通りの意味で使われている。「あなた(たち)を見失っていた。ごめんなさい」と。新自由主義の波の中で引き裂かれそうになりながら耐えている家族の思いが込められている。砂糖味の邦題より原題こそ作品の内容を伝えている。貧しくとも和やかな団らんの時こそ人々のエネルギーになる、ということをあらためて思わされる。

 ケン・ローチも既に83歳。一時は引退も言われていたが、こうしてメガホンをとったのは、時代の先端を行くかのような業界が、実は非人間的な労働環境の中にあることへの怒りが煮えたぎっているためであろう。地味だが秀作である。

 2019年、英仏ベルギー合作。


家族を想うとき.jpg


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