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「愚かな戦争」という教訓~濫読日記 [濫読日記]

「愚かな戦争」という教訓~濫読日記

 

「ノモンハン 責任なき戦い」(田中雄一著)

 

 日本史の教科書では「ノモンハン事件」という。事件? ソ連(当時)とモンゴルの国境地帯で起きた出来事は、偶発的な紛争といった響きで伝えられた。1939年5月から8月にかけ3次にわたった抗争で、日本は1万5千、ソ連は5万を超す兵力を投入。ソ連軍の圧倒的な機甲力(「ノモンハン…」によれば1938年時点でソ連の戦車1900両、日本は170両だったという)の前に日本軍は兵の8割が死傷した。これは「事件」でも、当時日本が常用した「事変」でもなかった。戦争そのものだった。なぜ「事件」として矮小化されたのか。

 日本は「ノモンハン」から2年後に太平洋戦争に突入した。そしてソ連は「ノモンハン」直後、ドイツに続いてポーランドに進駐(ポーランド分割)、第2次大戦の火ぶたを切った。

 巷間、「ノモンハン」は「イーブン」の戦いと伝えられた。しかし、実態は日本にとって惨憺たる負け戦だった。この実態がそのまま広く伝えられていれば、米国との無謀な戦争に突入することもなかったのではないか。逆に言えば、なぜ日本は「ノモンハン」を教訓として国の針路を転換できなかったのか。おそらくここに「ノモンハン 責任なき戦い」を世に問うた意味がある。

 著者はNHKのディレクター。2018年8月に放映したNHKスペシャル「ノモンハン 責任なき戦い」の取材成果を活字にまとめた。NHKのニュース番組はろくでもないのでほとんど見ないが、ドキュメンタリーの水準の高さはいつも驚嘆する。民放のようなCM頼みでない、公共放送の強みが出ている。人材もカネも惜しみなくつぎ込んだ結果だろう。これまで「インパール」や「火野葦平」なども映像化されたが、この「ノモンハン」も同列のものとして評価したい。

 「ノモンハン」に戻る。日本は明治維新以降、日清、日露、第一次大戦を戦い、いずれも「勝ち戦」を経験した(日露については別の見方もあるが、少なくとも負けはしなかった)。こうした成功体験の中で日中戦争に突入した。「寄らば斬る」という関東軍の傍若無人ぶりは、さまざまな歴史書で指摘された通りである。最たるものが強硬派で知られた辻政信少佐だった。

 しかし、ソ連は「日露」のころとは全く違っていた。革命を経てスターリンの生産力理論のもと、2次にわたる5か年計画で工業国へと変貌していた。それが前述のような機甲力の圧倒的な格差を生んだ。そうした戦力分析もなく「ノモンハン」の戦いは行われた。

 情勢分析の不足とともに、問題は上級将校の無責任ぶりである。兵を小出しに前線へ向かわせ、敗因分析もせず再び兵を小出しにする。これに参謀本部と関東軍の意思疎通のなさが輪をかけた。犠牲になるのは兵である。明治時代に開発された三八式歩兵銃で戦車に立ち向かった。

 こうした前線の実態を、当事者や遺族らの証言によってあぶりだす。戦車や砲弾にとどまらず、あらゆる物量で日本はソ連に圧倒されていた。そして兵站への無関心、将校らの撤退を潔しとしない精神構造、前線の兵の訓練度の低さ。ここには、後の太平洋戦争で明らかになった日本軍の無責任の体系、失敗の本質の芽が、ことごとく表れていた。

 「ノモンハン」を負け戦としてひた隠しにするのではなく(「事件」と呼んだ軍部の意図もそこにあった)、教訓として冷静に分析していれば、その後の破局的な戦争はなかったと思われる。少なくとも今の時代に再び愚挙を起こさないために、読む意味はある。

 講談社現代新書、900円(税別)。


ノモンハン 責任なき戦い (講談社現代新書)

ノモンハン 責任なき戦い (講談社現代新書)

  • 作者: 田中 雄一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/08/21
  • メディア: 新書

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