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日本の「慣性の法則」に切り込む~濫読日記 [濫読日記]

日本の「慣性の法則」に切り込む~濫読日記

 

「日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学」(小熊英二著)

 

 制度や慣習を変えたいのに変わらない。そんなとき、よく使われる言葉がある。「慣性の法則」―。

 著者の小熊英二は、総合的な戦後史の記述を目指しているという。政治、経済、外交、教育、社会、文化、思想を連関させ、世界的な同時代動向とも比較しながら、日本の戦後史を描く(この部分「日本のしくみ」の「あとがき」から)。これまでの「仕事」から見て、小熊なら可能であろう。時代のトレンドやムーブメントを組み込んだ、戦後のシステムの成り立ちを解明する試みといえる。ところがここで問題が起きた。戦後の各分野を連関させるためには、それらを串刺しにする共通の視座が必要になる。世界史の中で日本の戦後史を位置付けるということであれば、視座は世界的に普遍性のあるものでなければならない。そうした視座の獲得は可能なのか。おそらくここに「日本社会のしくみ」を執筆した直接の動機がありそうだ。そしてそれは、冒頭にある日本の「慣性」とは何かを解明する道にもつながっている。

 日本の政治や経済、文化、それらを形成するおおもととは何か。著者はそれを「慣習の束=しくみ」と名付けた。暮らしの中で意識的、無意識的を問わず、我々はさまざまな慣習を持っている。慣習が長期にわたって続けば集団のルールとなり、原理ともなる。そしてシステムが形成される。変更するためには、関わっている人間の同意が必要にさえなる。

 ここを出発点として、著者はまず日本のしくみは「カイシャとムラ」から成り立っていると喝破する。「カイシャ」の論理が貫かれているのは大企業であり、「ムラ」の論理が貫かれているのは「地元」と呼ばれる社会である。もちろん、この二つからはみ出した部分はある。これを著者は「残余型」と呼ぶ。この三分野は戦後ずっと同じ比率を保ってきたわけではなく、終戦直後には一時的に「地元型」(自営型産業)が増え、高度経済成長につれ地元型の多くは残余型(ムラにもカイシャにも属さない)に移行した。ただし、大企業の占める比率は戦後一貫して変わらないという。

 日本社会のもう一つの特徴は、雇用のしくみである。著者も指摘するように、欧米では雇用関係において比較的、横の移動は可能だが縦の移動はむつかしかった。日本では、縦の移動は恒常的にあるが、横の移動はむつかしい。これは、日本の経営者が、経営権の浸食を恐れて被雇用者の丸抱えを行い、その代償として年功制、終身雇用を保証したためだという。これに対して欧米ではギルドなどの歴史的形成過程があり、職人の資格認証制度、賃金の横並び(これらは日本では経営権の侵害ととらえられた)が保障されたためだという。

 そのため、欧米では被雇用者の三層構造(意思決定者、事務処理方、現場)が今でも厳然としてあり、日本では戦前まではあったが、戦後は社員の平等化の名のもと、解消された。ただし、日本近代化の出発点である官僚制では、昔も今もこの三層構造が生き延びている。

 こうした構造を反映して顕著なのは、欧米と日本の給与体系の違いである。欧米では仕事に応じて支払われる職務給が大勢だが、日本では生活保障の色彩が給与に込められており、そのため年功と職能という労使妥協の産物としての給与体系が一般的である。最近では成果主義という考え方が一時もてはやされたが、これは職務給の延長線上で成り立つ。これを年功、職能という給与体系と同居させるのは木に竹を接ぐようなもの、と著者は批判する。

 もう一つ、格差の問題がある。この点、欧州と米国、日本でそれぞれ事情が違っている。欧州では職務給の考え方が一般的であるかわりに社会保障制度が充実している。米国では労働の自由市場という考え方から、社会保障は貧弱である。その分、生活の格差が生じやすい。日本ではどうか。企業内では、社員の平等化が一定には図られている。しかしその分、大企業と中小企業、自営型産業の間で顕著な格差が生まれた。近年では「正社員」の外側の身分(非正規社員、アルバイト)の比率が高まり、これも格差を生む要因になっている。

 企業の人材評価や給与体系の欧米との違いなど、これまで社会的に論じられてこなかった部分にメスを入れた好著。日本はなぜ戦後の一時期、経済大国としてもてはやされたか。そして今、なぜ政治、経済は停滞しているのか。日本が変わるためには何が必要なのか。そうしたことを考える好材料でもある。

 講談社現代新書、1300円(税別)。

 

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書)

日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学 (講談社現代新書)

  • 作者: 小熊 英二
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/07/17
  • メディア: 新書

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