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共同体が持つ不気味な排斥力~映画「楽園」 [映画時評]

共同体が持つ不気味な排斥力~映画「楽園」

 

 吉田修一の短編集「犯罪小説集」から編を組み合わせ、一本の作品とした。二つの話を結ぶ糸は「共同体」という名の不気味な圧力である。共同体は常に何らかの求心力を持つ(持たなければ分解する)。求心力は同質性を求め、異物は排斥される。そこで、この作品のテーマは、排斥されるものと、するものとの葛藤である。

 問題はベクトルの方向である。求心力の方向へと向かう人々にとって、眼前の共同体は守るべき「楽園」と映る。その力が、特定の人々には「排斥力」として作用する。この不気味な力学を描くにあたって「楽園」と名付けた背景には、そのあたりの思考経路がありそうだ。

 監督は「ヘヴンズストーリー」「菊とギロチン」の瀬々敬久。復讐の物語に「ヘヴンズ…」と名付けたアイロニカルな思考法が「楽園」のタイトルにもみられる。「ヘヴンズ…」も「菊とギロチン」も、監督の力技を感じさせる大作であった。特に「ヘヴンズ…」は全編で4時間半を超え観るものを圧倒した。このことは逆に、一つの懸念を起こさせた。時に力技が上滑りしてしまう傾向が、この監督にはあるようだ。その辺は見てのお楽しみ、というものだ。

 観終わって、懸念は吹き飛んだ。共同体から排斥される側が綾野剛(役名:中村豪士)であり、佐藤浩市(役名:田中善次郎)であり、排斥する側が柄本明(役名:藤木五郎)であるから、演技は安定的で抑制はきいており、外れようがなかった。

 原作の2編は、栃木の少女不明事件を題材にした「青田Y字路」と、山口・周南市の限界集落で起きた人殺害事件を題材にした「万屋善次郎」である。交差するところがない2編だが、人間模様を紡ぎ直して一本のストーリーにした。

 前半は、少女が忽然と消えた中で、アジア系の外国人母子に疑惑の目が注がれていく過程を描く。疑惑が解けないまま、豪士は衝撃的な行動をとる。後半は、都会からUターンして養蜂業を営む善次郎が、ふとしたことで長老たちと折り合いが悪くなり、村八分どころか村十分の扱いを受け、絶望的な行動へと走る…。

 実は、後半部分のベースにある「万屋善次郎」では、映画よりももっと陰惨な「排斥」が描かれている。映画ではそこで一歩踏みとどまり、原作にはない一人の女性を登場させた。善次郎と同じくいったんは村を出て戻ってきた久子(片岡礼子)である。彼女は善次郎に寄り添おうとするが、結局はその思いを貫くことができない。ただ、善次郎との関係の中で、ただの住民から一人の「おんな」へと変わりゆく演技はぞくぞくするほど見事である。暗い色調のこの作品に、一片の華を添えている。

 見終わってみればやはり佐藤浩市、綾野剛、柄本明、そして杉咲花(不明少女の友達を演じている)、片岡礼子あたりが光った作品だ。そして吉田修一の「犯罪小説集」、言葉から立ち上がるイメージを連ねてストーリーを展開させる「ワザ」は、相変わらず鮮やかだ。

 2019年、日本。

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犯罪小説集 (角川文庫)

犯罪小説集 (角川文庫)

  • 作者: 吉田 修一
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/11/22
  • メディア: 文庫


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