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重いけれども温かい~映画「運び屋」 [映画時評]

重いけれども温かい~映画「運び屋」

 

 C・イーストウッドといえば、最近は「アメリカン・スナイパー」だの「1517分、パリ行き」だのと、内面のドラマが希薄で平面的な監督作品が目立っていた(「ハドソン川の奇跡」はまあまあだったが)。おいおい、あの「グラン・トリノ」のイーストウッドはどこへ行ったんだ、と嘆きの一つも入れたい気分だった。そんな折り、この「運び屋」を観た。まぎれもなく「グラン・トリノ」のイーストウッドがいた。

 主演・監督ともイーストウッド。これも「グラン・トリノ」以来である。

 1992年、米コネチカット州。家庭を顧みずデイ・リリーの栽培に情熱を燃やすアール・ストーン(C・イーストウッド)は娘の結婚式も出ずじまいだった。それから10年余り。別れた妻ら家族のもとに現れたアールは、借金の抵当に入れた自宅を追い出され、住むところもなかった。家族との小さないさかい。そこへ見知らぬ男が仕事を持ち込んできた。指定したルートをドライブするだけでカネになるという。アールは半信半疑で話に乗った。

 運転席のダッシュボードには、望外なカネが封筒に入れられ、置かれていた。ボロ車を新調し、自宅も取り戻せた。仕事はコカインの運搬だったが、アールには知らされなかった。運ぶ量も増え、200㌔から300㌔に。毎日、シカゴへ大量のコカインが持ち込まれている、とDEA(米麻薬取締局)も動き出した。しかし、「運び屋捜査」の網に90歳の白人はなかなかかからなかった。

 朝鮮戦争の帰還兵であるアールは、強者としての矜持をデイ・リリーに託していた。このあたりは、フォードの名車に朝鮮戦争から帰還した白人労働者の矜持を託した「グラン・トリノ」に似ている。しかし、そうした強者の矜持は家族には到底理解されなかった。そんな中でアールは麻薬シンジケートとの関係を深めていき、抜き差しならなくなる。そんな強さと弱さが交錯する中で、老境のイーストウッドならではのセリフ回しと演技が展開される。

 「なんでも買える時代なのに、時間だけは買えなかった…」。捜査官に連行されるアールがつぶやいた言葉である。あるいは、死を間近にした妻にささやく「100歳まで生きたいと思うのは99歳の人間だけだ」。人間はつい、もう少し生きていたいと思うが、どっちみちいつかは死ぬんだ、という思いを語っている。どちらも、90歳のイーストウッドがつぶやくからサマになっている。脚本は「グラン・トリノ」のニック・シェンク。

 人間はいくつになっても強くはなれないし、正しさだけを追って生きているわけでもない。道を踏み外すことだってある。だからどうなんだ、といっている。重いけれども温かい、そんな印象が残った。NYタイムズ紙の「90歳の運び屋」が原案だという。

 2018年、アメリカ。原題は「The Mule」。そのまま訳せば「運び屋」だが、もともとはラバを指し、そこから「頑固者」という意味がある。そこまで含めてタイトルがつけられたなら、味わいがある。


運び屋.jpg

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