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「日本とアジア」を考える契機~濫読日記 [濫読日記]

「日本とアジア」を考える契機~濫読日記

 

「日中戦争 前線と銃後」(井上寿一著)

 

 日本は明治以降の近代化を推し進める中、盧溝橋事件を経て日中戦争という泥沼へとはまり込み、さらに米英との戦争を始めるに至って破滅へと突き進んだ。歴史に「IF」は禁物だが、もし日中戦争を回避できていたら日本の現在は違っていただろう。なぜ日本は中国との戦争を避けることができなかったか。

 井上寿一著「日中戦争」は、副題に「前線と銃後」とあるように軍、政の権力者の側だけでなく、庶民や下級兵士の戦争観も織り交ぜた歴史書である。昨今見られる社会システムの変遷を追うことで、歴史の根幹を見るという手法が見て取れる。そのために「兵隊」(前線の兵士らの投稿による雑誌。一切検問はなかったという)での証言が多く用いられた。こうした中、軍部が戦争拡大に消極的だったこと、労働者・農民の党である無産政党が戦争に協力的だったことを指摘した。国民は戦争の被害者であり加害者でもあった。

 1920年代を境に日本の社会システムは転換する。自由主義から全体主義へ、国際主義から地域主義へ。このタイミングで起きたのが満州事変でありノモンハン事件だった(私見だが、ノモンハン事件は日本の戦争史の中で過小評価されている)。こうした中、日本はシステムの変換を迫られた。二大政党制から大政翼賛会体制への転換である。井上はここで、大政翼賛会はただのファシズム体制ではなく、政党政治を超えたデモクラシー体制を目指したとする。「目からウロコ」ではあるが、理解はなかなか難しい。

 以上が日中戦争のデッサンである。この構図に従って、各論が展開される。

 1930年の世界恐慌から立ち直った日本は、国際的覇権を求めてさらなる経済成長を目指す。労働者、農民、一般大衆、そして財界が日中戦争を「歓迎」した背景はこの辺りにある。面白いエピソードが紹介されていた。戦線へ送る「慰問袋」が金さえ出せば百貨店から直送できたという。これに対して前線の兵士から「せめて宛名書きは自筆で」と苦情の投稿が「兵隊」に掲載された。

 前線で戦った兵士が帰国すると、日本国内は軍需景気に沸いている。百貨店は売り上げ「戦争」に余念がない。兵士は違和感を抱き「日本」の革新を求める。日本主義の台頭である。帰還した兵士は、過去の平和への復帰ではなく、手あかのついていない新秩序、新しい「東亜」への期待を持つようになった。背景として火野葦平らの文筆活動も大きかった。

 目的意識を持たないまま始まった日中戦争は、開戦後1年余りを経て戦争の再定義が行われた。昭和13年の近衛文麿首相による「東亜新秩序」声明である。戦争は軍事にとどまらず文化工作の側面を持つ。「東亜協同体」論と「国民再組織」論が結合する。国民精神総動員運動(精動運動)が始まり、政党政治との兼ね合いが議論される。当初、井上は政党政治の期待の上に精動運動はあったという。

 しかし、戦局は悪化する。「今の日本は共産主義と紙一重」という言葉を、山田風太郎の著書から引用している。大政翼賛会による政治一元化は、戦争による国民の窮乏化=下方平準化=「社会主義」化だった。敗戦による「神の国」の滅亡とともに日本主義は空疎化し、大衆が抱いた「社会主義」への志向は戦後社会に持ち越された。

 井上は、敗戦とともに日本は1920年代、大正デモクラシーの時代に回帰したとみる。ただ回帰したのではなく戦争による社会変動を内包した「回帰」だった。この中で、戦後日本が学ぶべきことは何か。「近代の超克」の京都学派と晩年の廣松渉をあげているのが印象的だ。

 そして今、日中戦争を問う意味は何か。戦争責任を問うとともに、冷戦後の日本とアジアの位置関係を考える契機、という意味合いがあるだろう。

 講談社学術文庫、1010円。

 

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

日中戦争 前線と銃後 (講談社学術文庫)

  • 作者: 井上 寿一
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2018/07/12
  • メディア: 文庫



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