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「過去の克服」の物語~映画「家へ帰ろう」 [映画時評]

「過去の克服」の物語~映画「家へ帰ろう」

 

 いい映画だったなあ。エンドロールを見ながら、そう思えることが年に1、2回ある。この「家へ帰ろう」はそんな作品だった。

 ブエノスアイレスに住む仕立て屋、88歳のブルスティン・アブラハム(ミゲル・アンヘラ・ソラ)は娘たちから老人ホームに入ることを勧められ、しぶしぶそれに従おうとする。財産も譲与した。家の中を片付ける中で、1着のスーツが目に留まった。自身が最後に仕立てたそれは70年以上も前に命を救ってくれた友人のためのものだった。そのスーツを渡すため、彼は二度と足を踏み入れることはないと思っていた地へと旅立った。

 長い旅路の中で、彼の右足は悲鳴を上げ続ける。ポーランドでナチスドイツのユダヤ人狩りに会い、「死の行進」を逃れて戦後、アルゼンチンに渡った。その時、アブラハムを救ったのが同い年の親友だった。彼のもとへこのスーツを届けなければ。

 しかし、ナチの手を逃れる際に痛めた右足は、記憶の中で何かを拒絶する、その肉体的な証のようでもあった。空路マドリッドに渡り、鉄路向かったパリで乗り換える。そこでアブラハムは、ドイツを通らずポーランドに向かう方法はないか、駅のホームで尋ねた。ユダヤ人である自分が、かつて何事もなかったようにドイツを通ることはできない、と訴えた。周囲が笑いながら「そんな方法はない」という中で一人の女性が手を差し伸べた。大学でイディッシュ語【注1】を学んだというドイツ人の文化人類学者イングリッド(ユリア・ベアホルト)は「ドイツは変わった。戦争を知らない世代も、過去の責任を全員が負おうとしている」と声をかけた。

 彼女の真摯な姿勢に老人は記憶の中の氷を溶かしていく。こうしてドイツ国内を通る列車に乗り込んだが、当然ながら周囲はドイツ人、ドイツ語ばかりである。再び拒絶がよみがえり、右足も最悪の状態になって車内で倒れこむ。

 一転、ワルシャワの病院。辛うじて右足切断をまぬかれたアブラハムは、退院後に記憶の地ウッチへと連れて行ってくれないかと看護の女性に頼みこむ。そして…。

 アブラハムは旅の途中で大事に抱えてきた青いスーツを、命の恩人であるかつての親友―生死さえも分からない―に渡すことができるのか。

 一種のロードムービーである。70年前の苦く重い記憶を抱えた旅。無愛想で不器用な老人に手を差し伸べる数人の女性。彼女たちはいずれも、奇跡的といっていいほど善意の持ち主である。現実はそうはならないだろう。旅したスペイン、フランス、ドイツではいま、保護主義と極右思想が吹き荒れている。むしろそうした事実を踏まえたほうが、現実に近いものになっただろう。しかし、観るほうはそんなものを求めてはいまい。旅する老人とともに過去の歴史を克服する【注2】、そんな姿が見たいのである。そうした観客の欲求にこたえたからこそ「いい映画を観たなあ」という思いにもさせられる。

 そして、老人の記憶から「ポーランド」という言葉を遠ざけてきたものはなんだったか。忘れることのできない体験の地を記憶の底に沈めさせたものはなんだったか。思いを巡らせたとき、この映画は重みを増す。

 2017年、スペイン、アルゼンチン合作。監督、脚本パブロ・ソラルス。原題「El ultimo traje」は「最後のスーツ」の意味らしい。原題、邦題ともにいい。監督はユダヤ系アルゼンチン人。祖父の話にヒントを得たという。

 

【注1】ドイツ語の一方言とされる。ドイツや旧東欧圏に住むユダヤ系の人々が使った言語。

【注2】加藤周一はこう書いている。

過去は清算できないが、克服することはできる、―-あるいは少なくとも克服しようと努力することはできる(「言葉と戦車を見すえて」)。

 しかし、当然ながらその道のりは遠く困難である。加害の側にも被害の側にも。この映画は、そのことを私たちに考えさせる。


家へ帰ろう.jpg

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