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一人の女性の美しい人生~映画「私は、マリア・カラス」 [映画時評]

一人の女性の美しい人生~映画「私は、マリア・カラス」

 

 邦題の「私は」の後に「、」が付く。一種の「ため」である。意図したものは何か。「私はマリア・カラス」と一気に言ってしまえない何か。一瞬立ち止まってしまう何か。原題は「Maria by Callas」。この「by」も、一種の「ため」である。この「ため」は何かを追ったドキュメンタリーである。使われたのはカラス本人のインタビュー、ステージの映像、プライベートの映像、そして未発表とされる自叙伝のナレーション。

 13歳から才能を見出され、トレーニングに励んだカラスはやがて世紀のプリマドンナと絶賛された。だが、一方で名声と内面の乖離に悩み始める。「カラス」の存在が重くなってくるのだ。30代に入り揺るぎない地位を得たカラス。しかし、1958年のローマ歌劇場でのどを壊し、第一幕でステージを降りると、順風は瞬時に逆風に変わった。「傲慢」「わがまま」の非難が飛び交った。そんな折り、出会ったのがギリシャの大富豪アリストテレス・オナシスだった。妻の名声という美酒におぼれ、セレブ気取りだった夫バティスタ・メネギーニに嫌気がさしていたカラスは恋に落ち、離婚を宣言。しかし夫は応じず、泥沼の関係に。オナシスとは奔放な関係を貫こうとする。

 9年間続いたオナシスとの関係は突然破局を迎えた。ジャクリーンとの結婚が1968年に発表されたのだ。しかもそのことを直にではなく新聞で知ったカラスは深い悲しみに陥る。

 自らを「単純で陽気だけど内気」というカラスは、愛と芸術にまっすぐに向き合い、それが周囲には自由奔放と映ったようだ。しかし、彼女は後悔してはいないだろう。だからこそ70年にNYで受けたインタビューでも「今まで正直に生きてきたわ」と語っている。

 77年に53歳で息を引き取るまでの毀誉褒貶を文字で記述しても、肝心なことはほとんど伝わらない。彼女の真実はステージでの振る舞い、肉声、演技、そして私生活での奔放な表情を通してしか伝わらないのかもしれない。そこにこのドキュメンタリーの意味がある。

 監督はトム・ヴォルフ。ロシア生まれフランス育ち。2017年、フランス。美しい映画である。それはマリア・カラスという女性の生き方の美しさによっている。

 

カラス.jpg


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