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「戦場体験」を持つ作家が見た「戦争」と「戦後」~濫読日記 [濫読日記]

「戦場体験」を持つ作家が見た「戦争」と「戦後」

~濫読日記

 

「証言その時々」(大岡昇平著)

 

 「野火」や「俘虜記」、そして「レイテ戦記」と、世界的に見ても優れた戦場文学を残した大岡昇平が戦後、折々にメディアに書き残した文章を集めた。時期は1937年、満州事変が起きる前から88年に没する直前の86年まで半世紀。大岡昇平が亡くなった年は昭和でいえば63年、つまり昭和の最後の年に当たる。昭和の戦禍を、身をもって体験した一人の作家が目にした「戦争」と「戦後」が、率直に語られている。

 

 大岡は、では「戦争」をどのように見たか。そこには二つの視点がある。大岡は戦争末期の447月、36歳でフィリピン・ミンドロ島に暗号担当の兵として赴いた。しかし、半年もたたない翌年1月に捕虜となり、レイテ島の捕虜収容所に入れられた。この時の体験が「俘虜記」としてまとめられた。大岡の戦争体験の核となる「戦場体験」であった。

 もう一つの視点は、「戦場」の記憶を内に持ち続けることで見えた戦後社会の虚妄性である。言い換えれば、戦後社会を「はかないもの」と見るニヒリズムといっていい。

 

 「俘虜記」に戻る。大岡が敗戦を知ったのは8月15日ではなく8月10日だったと書いている。歴史的にはその前日9日、長崎に2発目の原爆が投下され、樺太(サハリン)にソ連軍が侵攻した。そのどちらが「終戦」の決断に大きな比重を持ちえたかは別の議論として、少なくともこの二つの事実により、日本政府は連合国軍に「降伏」の意思を伝えた。その時点で大岡は敗戦を知った。このとき、大岡は「静かに涙が溢れて来た」(「俘虜記」)という。

 大岡は戦後、比島に残置された日本軍兵士の存在に一貫して関心を持ち続けたことが、この一冊から分かる。67年にはフィリピン戦跡訪問団に加わり、23年ぶりに比島を訪れてもいる。そして、こんな美しいところでなぜ戦いが行われなければならなかったか、という感慨を記した。横井庄一さんが戦後28年たってグアム島で発見された72年、大岡はある新聞に次のような言葉を寄せた。

 ――「戦後は終わった」との声を聞いてから久しいが、いわばその考えの誤りを正すためかのように(略)ジャングルから元兵士が現れて来たのである。

 72年後半にはルバング島で2人の旧日本軍兵士が現地警察によって射殺された。この時、銃撃戦を逃れた小野田寛郎少尉は74年3月、山を下りて保護された。しかし、横井さんの時とは違って大岡は複雑な心境を吐露した。

 ――死ぬのはいつも兵隊で、将校が生き延びているのにいやな気持がしていた。

 マルコス大統領演出の軍刀返還式にも「芝居じみていて、不愉快だった」と記した。そして、中野学校二俣分校一期生だった小野田元少尉に「残置命令」はあったのか、という考察も付記した。「命令」はなく、長い間に小野田元少尉が「思いこみ」もしくは「勘違い」に至ったと結論付け「すべては旧陸軍の教育の欠陥」だったとした。

 

一方、大岡は「戦後」をどう見たか。以下は63年の文章である。

 ――最近日本ではほんとうの意味の戦争小説が書かれていないことが、文芸評論家によって指摘された。(略)こんどの戦争については18年経っても、信用できる戦史すら書かれていないのである。これはよく考えれば、実に奇妙なこと(略)」

 数年後、大岡は「レイテ戦記」を世に問うた。

 69年には、「権威への不信がよみがえる日」と題した一文で、こう書いた。

 ――大衆社会状況、レジャーブームなど、経済的繁栄の結果生じた市民的幸福のエゴイズムは、風俗の一般的頽廃と、ヒッピー族のような破壊的要素の出現によって脅かされている。(略)今日この上なく確かであると思われることが、いつひっくり返るかわからないという不安、一切の権威への不信がよみがえる常に目醒めていることの必要を思い出す日として、8月15日はあるわけである。

 戦後社会の虚妄性、幻影たることを指摘している。

 
 また74年には、こんな激しい言葉で、戦後社会を批判した。

  ――いつか新聞の投書に、戦没者の霊を国家が独占して、靖国神社へしまい込むことはない。荒ぶる魂として、日本国中を飛び回らせるがよい、という趣旨のものを読んだことがある。公害、インフレ、企業ぐるみ選挙など、醜い日本の現状を見ては、たしかに死者たちは荒びているだろう。(略)気をつけるがいい。

 

 「ゴジラ」は太平洋に沈んだ日本軍兵士たちの亡霊のよみがえりであり、頽廃した戦後社会への警鐘として東京を襲ったのだ、とする川本三郎の論(「今ひとたびの戦後日本映画」)を彷彿とさせる。

 

 71年、大岡は芸術院会員に推薦されたが断った。この背景にも「戦争体験」があった。

 ――(推薦は)この上ない名誉である。それを断らねばならなかったのは、私には別の意地があったからだった。(略)私はこの前の戦争で捕虜になった。死んだ戦友に対して、常にすまない、と思っていた。(略)国から名誉を受け、年金をもらうことはできない、とかねがね思っていた。

 大岡にとって「戦争」とは何だったか。

 ――戦争は勇ましく美しいものとして語られていた。しかしいくら美化されていても、そこには一つの動かすことのできない真実がある。それはどんなに勇壮であっても、人が死ぬということである。(略)将軍や参謀はめったに死なず、死ぬのは大抵名もなき兵士である。

 日露戦争の4年後に生まれた戦無派であり、同時にアジア太平洋戦争の戦中派であった作家の言葉である。

 講談社学術文庫、1050円(税別)。

 

 ※文中、大岡の原文は和数字表記だが、ここでは洋数字表記で統一した。


証言その時々 (講談社学術文庫)

証言その時々 (講談社学術文庫)

  • 作者: 大岡 昇平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2014/08/12
  • メディア: 文庫

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