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奥にひそむ映像・映画論~映画「カメラを止めるな!」 [映画時評]

奥にひそむ映像・映画論~映画「カメラを止めるな!」

 

 いきなり37分ワンカットのゾンビ映画。これはこれでスピード感、緊張感あふれ息をつく暇もない。終わって「えっ、それでどうなるの?」と思ったら別のステージのストーリーが始まる。つまり、入れ子構造でできている。

 最初の37分が一つの箱だとすれば、その外側にもう一つの箱がある。最初の箱は演技するゾンビと、それを襲う本物?のゾンビが登場する。現実と幻が交錯する。外側の箱は、そのゾンビ映画を製作する、言い換えれば取り巻く人々を描く。

 では、最初の小さな箱は映像という幻で外側の箱は現実なのか、というと、それほど単純ではない。

 もとより映像・映画は虚構であり現実ではないのだ、と切って捨てれば、そうしたものに情熱とエネルギーを傾けている人たちはただ「空を撃つ」作業をしている、ということになる。おそらくそうではない。作られた映像・映画は、誕生の瞬間に命を持つ。つまり現実の一端として独り歩きを始める。ゾンビを演出・演技している人たちが本物?のゾンビに襲われるという設定は、そうした含意であるようだ。

 37分間の長回しに続いて製作過程にたずさわった人々の描写…これはなんだろう、舞台で行われた手品に続いて、種明かしを延々と見せられるのに似ている。それが必要か不要かは別にして、種明かしによって手品そのものの価値は失われるのか―言い換えれば、種明かしによって手品の価値は変わるのか―という問題提起にも思える。

 複雑な言い回しになるが、その製作過程を明かすことで、冒頭37分間の長回しは、それ自体が一つの現実として独り歩きを始めた、といえるのではないか。

 映画専門学校のワークショップの一環として作られたという。完成度は高く、単純に楽しむための映画として観るのもいいが、その奥にある映画論、映像論は深い。そこに立ち行ってみるのもいいかもしれない。2017年、日本。

 

カメラを止めるな.jpg

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