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60年安保で置き去りにしたものは~濫読日記 [濫読日記]

60年安保で置き去りにしたものは~濫読日記

 

「評伝 島成郎」(佐藤幹夫著)

 

 60年安保闘争。あの闘いはなんだったのだろう。6月18日、日本の政治史上空前の50万人が国会前に集結した闘いは、何を勝ち取ろうとしたのか。6月15日、国会突入デモで一人の女子学生が亡くなり(機動隊に虐殺されたといわれる)、その2日後の東京主要紙には、「7社共同宣言」が掲載された。「その事の依って来たる所以を別として」議会主義を守れと、宣言は主張した。こうして議会主義、民主主義を守る闘いとして60年安保闘争は位置付けられ、今日、市民運動の多くは「平和と民主主義を守る」闘いの中に回収される。しかし、何かが抜け落ちている。置き去りにされている。

 そんな思いで60年安保を振り返るとき、多くの人の脳裏には、二人のカリスマが立ち上がる。一人は唐牛健太郎。もう一人は、唐牛を当時の全学連委員長に口説き落とした島成郎ブント書記長。しかし、二つのキャラクターはまるで好対照だ(といっても60年当時、小学生だった私にはそこまで細かい記憶はない。覚えているのは革命前夜を思わせた国会前デモの激しさだけだ)。多くの証言によれば、地方の北海道大から出てきた唐牛はすらりとした長身で屈託がなかったという(佐野眞一著「唐牛伝」は、この神話の解体をもくろんでいる)。これに対して東京大教養学部にいた島は入学と同時に共産党に入党。砂川闘争などを経て運動方針の乖離を意識し、党との決別の中でブント(共産同)を組織、全学連主流派を形成する。唐牛は運動の象徴的存在ではあったが、安保闘争の最中は獄中にあり(この辺は「唐牛伝」に詳しい)、実際に闘いを担ったのは島だったといえる。

 さて、書評に入らなければいけない。その前に断っておけば、「唐牛伝」を書いた佐野は1947年生まれであり、60年安保をリアルタイムで経験した(闘ったということも含めて)とはいいがたい。「評伝 島成郎」を書いた佐藤幹夫はさらに後の世代、1953年生まれで、70年の時でも17歳である。私も含めてだが、「少し遅れてきた世代」といういい方ができる。

 そのうえで「評伝 島成郎」を読むと、この微妙な世代観の相違が、書の中に投影されているのが分かる。まず、島の人生の二つの側面を、佐藤は見てとる。一つは学生運動家としての、もう一つは精神科医としての。そして、読んだ限りでは、佐藤は島の人生を振り返るにあたって、精神科医としての側面に相当の重心をかけていることが分かる。ちなみにいえば、「唐牛伝」で佐野は、安保後の唐牛の人生に主要な関心があった、と書いている。これは、安保闘争を指揮するにあたって唐牛に明確な思想的バックボーンが見当たらなかったこと、その活動期がわずか4年であったこと、などが影響したためだろう。それにもまして「喫水線ぎりぎり」(「唐牛伝」)で辺境の地を漂流した人生の航跡が関心を引いたのだろう。では、佐藤が「安保の島」からではなく、「安保後の島」から書き始めたのはなぜか。その答えを、これから繙いてみる。

 精神科医としての島は、人生のほとんどを沖縄での精神科治療に捧げている。その方針は明確である。閉鎖的な隔離による治療から、地域を巻き込んでの開放治療。今日では珍しくないが、70年代初めに沖縄に渡った若手精神科医による治療としては画期的だっただろう。そして、日本に施政権返還されたばかりの沖縄は、これまで日本が引きずってきた精神科治療の矛盾を凝縮させた地だった、というのが島の見立てであった。佐藤の取材によれば、島は沖縄で政治の話をすることはほとんどなかったという。

 政治と精神科治療。一見無関係な二つの領域が交差する地点、それが沖縄だった。戦後、内灘、砂川、安保と続いた米軍基地をめぐる闘争は、日米両政府に日本本土からの「基地撤収」を余儀なくさせた。その結果、米軍専用基地の74%が集中するという今日の沖縄の状況が生まれた。島も「反安保、反基地闘争」の生み出した結果については熟知していたはずだ。しかし、島はその答えを政治闘争の先にではなく、精神科医としての活動の先に求めたのであろう。

 島は安保闘争後、約1年間の「精神的漂流」ののち、東京大医学部に復学する(東京大入学後、一度中退している)。そして在籍中の68年に全共闘運動=インターン廃止闘争が起きる。この闘争を島は主導しなかったが、その後、沖縄で地域医療の改革に努めた。これは、多くの全共闘運動経験者が地域闘争に活路を求めたのと、軌を一にする。

 佐藤は、「安保」というフィルターで色付けされた島ではなく(島には自らの筆になる「ブント私史」という強力なドキュメントがある)、自らが取材によって手にした島の等身大の姿を描きたかったのだろう。

 島の葬儀にあたって、多くの人が弔辞を寄せた。印象に残るのは、武井昭夫と吉本隆明のそれである。武井は「体制の階を上っていく生き方を終生しなかった」と、吉本は「将たるの器」と述べている。

 60年安保の後、所得倍増政策によって日本は高度経済成長を遂げた。バブルがはじける直前に唐牛が亡くなった。米ソ冷戦が終わって10年が過ぎたころ、島が他界した。それにしても、60年安保闘争で我々が失ったものは樺美智子の命と、そして何だったのだろうか。

 筑摩書房、2600円(税別)。


評伝 島成郎 (単行本)

評伝 島成郎 (単行本)

  • 作者: 佐藤 幹夫
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2018/03/20
  • メディア: 単行本

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