SSブログ

「吉本」を再体験する~濫読日記 [濫読日記]

「吉本」を再体験する~濫読日記

 

「[新版]吉本隆明1968」(鹿島茂著)

 

 吉本隆明〈論〉というものがあるが、「[新版]吉本隆明1968」はそこに分類されるものではない。吉本との出会いの体験記、とでもいうべきものである。タイトルにもそうした含意がある。著者が吉本と遭遇したのが1968であることから、時代状況と切り離せない吉本〈体験〉を振り返る、というほどの意味が、ここには込められている。

 私事をいうと、著者と同じ1949年生まれである。地方の非インテリ層出身で、ここは著者と違っている。進学校をへて「階級離脱」らしき体験を持つが、著者が進んだ東京大とは縁もゆかりもなかった。そうした違いはあるにせよ、大学に進んだ1968年に吉本の著作と出会い、頂門の一針ともいうべき激烈な文体が心に深く突き刺さった。この点は同じである。もし、人生を変えた一冊もしくは著者をあげよというアンケートがあれば、間違いなく吉本の名をあげたであろう。

 したがって「[新版]吉本隆明1968」を読むということは、吉本思想の分析を読むというより、あの時代の中で、吉本思想と遭遇した体験を再現することであった。

 書の構成は、小林多喜二「党生活者」に「技術主義」「利用主義」をみ、そこから転向論へと展開して芥川龍之介論、高村光太郎論へと遷移する。描出されるのは吉本思想の太い一本の線、「生活と思想」の問題である。近代合理主義との出会い、捨てきれぬ封建制思想との葛藤、つづめて言えば「理」と「家」の問題である。そこが、読む者の心に突き刺さったのである。

 再び私事を述べれば、吉本と出会ってしまったために〈土着と情況〉の問題に深入りし、全共闘運動にシンパシーを覚え、大学を出た後は地方メディアに職を得、しかし、それは暮らしのためであるとわが身におもいしらせ、そのために労組活動や市民運動とは一定の距離を置き、半世紀近く過ごした。そんなわが身に吉本はどう響くのか。それがこの書を読むに至った動機である。

 吉本〈再体験〉としてこの書を読んだために、言い換えれば多くは首肯しながら読んだために、あらためて内容をくくって、ここで紹介する気にはなりにくい。別の言い方をすれば、書くべきことが、半世紀を経てなお重すぎる。そこで、書の末尾の解説にある内田樹の言葉を紹介する。

 ――以後半世紀に近い歳月を閲した。(略)ずいぶんわきの甘い男だったが、知識人と生活者大衆の中ほどのどっちつかずの立ち位置を守り、何があっても「日本的情況を見くびらない」という点については一度も警戒心を失ったことはなかったという自負はある。それほどまでに「転向論」の吉本の言葉は私の胸に突き刺さったのである。

 著者(鹿島)の表現を借用すると、半世紀たってなお吉本は「すごみ」を失っていないのである。
 平凡社、1300円(税別)。


新版 吉本隆明 1968 (平凡社ライブラリー)

新版 吉本隆明 1968 (平凡社ライブラリー)

  • 作者: 鹿島 茂
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2017/11/13
  • メディア: 新書

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。