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権力者と官僚の関係を考えさせる作品~映画「ザ・シークレットマン」 [映画時評]

権力者と官僚の関係を考えさせる作品

~映画「ザ・シークレットマン」

 

 このところ、権力とメディアの関係を考えさせられる作品が相次いだ。一つは「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」、もう一つは「ザ・シークレットマン」。ともに1970年代初頭、米国で起きた事件をモデルにした。

 ベトナム戦争をめぐる機密文書、いわゆるペンタゴン・ペーパーズの内容がNYタイムズ紙、ワシントンポスト紙などによって報じられ、差し止めを求めた政府が敗訴したエルズバーグ事件。この直後、ワシントンの民主党本部に侵入、盗聴器を仕掛けた5人を逮捕したウォーターゲート事件が発生した。両事件とも当時のニクソン政権を痛撃、特にウォーターゲート事件はニクソン大統領を辞任に追い込んだ。この時、精力的な報道を展開したワシントンポスト紙のウッドワード、バーンスタイン両記者が注目を浴びたが、同紙のキャンペーンの源には一人の情報提供者がいた。紙面では「ディープスロート」と呼ばれ、実名が明かされることはなかった。彼の名が判明したのは大統領が辞任して31年後、2005年のこと。「ディープスロート」自身が名乗り出たためだった。当時、ニュースにはなったものの、30年前ほどのセンセーショナルな扱いでは報じられなかった。

 この「ディープスロート」、すなわちFBI副長官だったマーク・フェルトを主人公にしたのが「ザ・シークレットマン」である。一言でいえば、予想以上に面白く観た。それは、「ペンタゴン・ペーパーズ」がメディアの側から事件を見ている、つまり観客が知る事件のかたちのままにつくられたのに対して、「ザ・シークレットマン」はFBI副長官の側から事件をとらえ直し映像化している点にあった。それは二つのことを観るものに教えてくれる、もしくは考えさせてくれた。

 一つは、マーク・フェルトはなぜFBI情報をリークするに至ったか、である。あらゆる情報の集積拠点であるFBIに対してホワイトハウスは影響力を行使しようとするが、それに抗してFBIを自立機関とすべく苦闘するマーク・フェルトは、権力者に対して効果的なリークがなければ事件の本質は見えてこないと思ったのだ。その構図は「ディープスロート」はなぜ「ディープスロート」だったか、という問いの答えを観るものに暗示している。もう一つは、マーク・フェルトという一人の実直な人間を通して、官僚とは何かを考えさせる点だ。

 この二つをもって、この映画は単に40年余り前の事件を描いたという点に収まらず、現代に通じるテーマ性を持つに至った。ホワイトハウスとFBIの軋轢は、ちょうど1年程前に解任されたジェームズ・コーミーFBI長官とトランプ大統領の関係を連想させる。そして「官僚とは何か」という問いかけは、そのまま昨今の霞が関で右往左往する官僚のありように鋭い批判の刃を向ける。

 それにしてもこの映画、最近のラインアップでは地味な部類の作品と思うが、GW中とはいえ、観た映画館の100席余りが満席だったのには驚いた。何がそうさせたのだろう。

 2017年、米国。原題は「Mark Felt: The Man Who Brought Down the White House」(マーク・フェルト、ホワイトハウスを倒した男)。邦題よりこっちのほうがいいな。


シークレットマン.jpg


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