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現代に生かすべき近代の教訓~濫読日記 [濫読日記]

現代に生かすべき近代の教訓~濫読日記

 

「日本の近代とは何であったか―問題史的考察」(三谷太一郎著)

 

 タイトルを見て日本近代の通史かと早合点し、読み始めたら違った。日本の近代について四つのクエスチョンを立て、それらをピンポイントで掘り下げていく構成。少し戸惑ったが、歴史の表面ではなく周辺を掘り下げていくという手法には、ある種の深さを感じた。その点、これまでにない体験ではあった。ただ、どこまで理解しえたかという点では自信はないが。

 四つのクエスチョンは①なぜ日本に政党政治が成立したが②なぜ日本に資本主義が成立したか③日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか④日本の近代にとって天皇制とは何であったか―である。確かに、アジアの国では必ずしも政党政治が自明のことではなかったし、植民地帝国を目指したのもアジアでは日本が唯一である。そうした意味では、これらの問題意識はラディカルといえよう。

 この四つのクエスチョンを解くカギは、近代日本がヨーロッパ近代をモデルにしたという歴史的前提にある。ではヨーロッパの近代とは何だったか。三上はここで英国のジャーナリスト、ウォルター・バジョットの「英国の国家構造」を取り上げる。カール・マルクスの「資本論」と同年に出版された、ヨーロッパの自画像とも言うべき著作である。ここで三谷は、中世の「慣習の支配」から近代の「議論による統治」へと移行する英国社会の姿を抽出。さらに、背景には貿易と植民支配があったというバジョットの指摘に注目する。これが、三谷のこの著作のベースとなる観点である。

 以下、簡単に内容を紹介すると、政党政治については合議制と権力分立がカギであり、それらは明治維新の前、すなわち江戸幕府の統治形態に既に見られた支配構造だった、との指摘が興味深い。資本主義の成立については、明治維新以降、自立的資本主義を目指した日本が日清、日露戦争を契機に世界的潮流であった国際的資本主義へと転換、昭和に入って排外的な国家資本(姿を変えた自立的資本主義)の時代に転化する、というプロセスの描き方が新鮮。なお、日本の植民地帝国への歩みも、明治開国以来の不平等条約からの脱却、自立的資本主義から国際的資本主義への転換と合わせて説明される。朝鮮総督府、台湾総督府などの人事をめぐり、軍部と文民との綱引きが結構あったという指摘も興味深い。

 日本の近代はヨーロッパ社会の模倣であった。福沢諭吉が唱えた「和魂洋才」であり、その延長線上に「富国強兵」「殖産興業」があった。ヨーロッパ文明の機能的側面だけを取り入れようとするものだった。しかし、ヨーロッパ文明には中世から継承された「神」がすべての価値の根源に存在する。ここまでは模倣しきれなかった。ではどうするか。そこで考えられたのが天皇の神格化であったと三上は指摘する。キリスト教の機能的等価物としての天皇制という位置づけである。

 三上はこのように日本の近代を総括した後、「日本の近代は一面では極めて高い目的合理性をもっていましたが、他面では同じく極めて強い自己目的化したフィクションに基づく非合理性をもっていました」とする。その二つの結合が過去にもたらしたものが戦争であったが、その実例は「強兵」なき「富国」を目指す現代でも見ることができる。一つは東日本大震災による原発事故であろう。近代の苦い教訓を生かすべきシーンは少なくないと思われる。

 岩波新書、880円(税別)。

 

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

日本の近代とは何であったか――問題史的考察 (岩波新書)

  • 作者: 三谷 太一郎
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/03/23
  • メディア: 新書

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