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家族の崩壊を虚無的に描く~映画「ハッピーエンド」 [映画時評]

家族の崩壊を虚無的に描く~映画「ハッピーエンド」

 

 フランス・カレー地方に住む裕福な家族の崩壊を描く。その視線は虚無感に満ちている。

 …と、ここまで書いて、このテーマ設定は小津安二郎に似ている、と思った。そしてこの作品では、スマホ画面が「勘どころ」といえるシーンで登場する。登場人物を録画する画面が、スクリーンに広がる。そこには既視感がある。小津が、ローアングルにカメラを置くことで日本家屋の柱や欄間をドラマのフレームとして使った、あの感覚と似る。小津はそこに「生活感」をにじませたが、「ハッピーエンド」のミヒャエル・ハネケ監督はスマホ画面の向こうにSNS社会を意識させる。SNSによって個人は分断され、解体され、そして家族は崩壊する。これが、この作品のテーマであろう。

 ハネケ監督はこれまで「白いリボン」「愛、アムール」といった衝撃的な作品を世に問うた。どこが衝撃的だったか。一見何気ない日常、「白いリボン」では美しくさえある日常のシーンが積み重なるにつれ、死のにおいを漂わせたからだ。「愛、アムール」では、パリのしゃれたアパートに住む老夫婦が、ついに死の時を迎えるまでを描く。

 さて「ハッピーエンド」である。建設会社を営むロラン一家。当主のジョルジュ(ジャン・ルイ・トランティニアン)は娘のアンヌ(イザベル・ユペール)に家業を譲り、孫のピエール(フランツ・ロゴフスキ)にも経営の一角を担わせていた。アンヌの弟トマ(マチュー・カソビック)は一家の長男であるが、医師として働いている。トマには離婚した妻がおり、娘のエヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)がいた。この前妻は男に捨てられ、うつ病の治療中に急死する。親を亡くしたエヴは、ロラン一家に引き取られる…。ここまでが、物語のフレームである。

 年老いたジョルジュは一家のありように絶望して自殺を企てる。そこに現れたエヴに、なぜか同じ「死のにおい」を感じる。アンヌは弁護士のローレンス(トビー・ジョーンズ)といつも電話で話し込んでいる。トマはチャットで不倫にのめりこんでいる。ピエールは会社経営の任に堪え切れず、精神不安定である。こうした中で、孤独と得体のしれない闇を抱えたジョルジュとエヴが惹かれ合う。

 ジョルジュはエヴに、介護していた妻を殺したことを告白する。エヴは実は、トマの前妻に薬を盛った経験を持つが、そのことはジョルジュには明かさないでいた。しかし、二人は同じ体験を持つことをいつしか感じとっている。

 ジョルジュの「妻殺し」は、実は「愛、アムール」のラストと重なっている。人物の設定は変えてあるが、ハネケ監督も意図的にストーリーを継続させている。主人公の名は同じジョルジュであり、演じるのも同じジャン・ルイ・トランティニアンである。「ハッピーエンド」のラストで車いすのジョルジュが入水自殺を図るが、その模様を目撃したエヴは助けるでもなくスマホを取り出して動画を撮影する。おそらく、このシーンがハネケ監督の描きたかった現代の風景であろう。SNSによってタコツボ思考に陥り、自ら分断化を求める人々。それに絶望する老人たち。そうした構図を、スマホ画面をフレームとして重ねることで描きたかったに違いない。虚無感のにじむ結末である。そして、なんとアイロニーに満ちたタイトルであることか。

 

ハッピーエンド.jpg


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