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「暴力と戦争の20世紀」の源流がここにある [濫読日記]

「暴力と戦争の20世紀」の源流がここにある

 

「第一次世界大戦」(木村靖二著)

 

 「未完のファシズム 『持たざる国』日本の運命」(片山杜秀著、新潮選書)の冒頭、小川未明の小説が引用してある。

 ――海のかなたで、大戦争があるといふが、(略)実は心の底でそれを疑ってゐるのだ。(略)「誰かがうまくたくらんだ作り話ぢゃなのか知らん。」と思ってゐるのだ。

 「大戦争」とは、第一次大戦のことである。未明も述懐したように第一次大戦は日本からはるか遠いヨーロッパの戦争であり、およそ実感のない戦争だった。しかし、片山がこの後、詳細に展開したように、日本が戦争へ、ファシズムへと突き進むうえでこの戦争は重要な意味を持った。多くの日本人にとってこの戦争が「忘れられた戦争」であったにもかかわらず、である(第一次大戦で日本は中国大陸でドイツと戦ったが、そのことも多くの日本人にはほとんど意識されていない)。

 では世界史上、あるいは日本の近代史上、第一次大戦はどうとらえられるべきなのか。そのことを、現在の学問的知見に立って解説したのが、この「第一次大戦」である。

 歴史的前提として触れなければならないのは、19世紀以降の産業革命によって人類は人力以上の、つまりは機械化された動力を手に入れ、それが社会の再編を生み出していわゆる階級社会と帝国主義の時代を迎えるに至った、という事実である。こうした流れの中でヨーロッパを二分する戦いが始まったのだが、それは動力の機械化による戦線の長大化、兵器生産のための総動員体制の整備を必然的に招いた。そのことは、国家レベルでいえば最終的にドイツと、大戦中に誕生したソ連との戦いに収斂されるに至る。

 ドイツ対ソ連の戦いは第二次大戦で第二ラウンドを迎える。二つの大戦をくくって「暴力と戦争の世紀」と形容することは可能だが、それは、ドイツ(ナチズム)とソ連という近代社会構造が産み出した二つの怪物(全体主義)の相克であったと、ひとまずいうことができよう。

 少し先走りすぎた。さて、「第一次大戦」である。書は、まず「大戦」の名称の変遷、戦争の起源論から書き始める。興味深いのは、米ソ冷戦が終結した1990年代に入って、大戦が始まった1914年から冷戦終結の1990年までを「短い20世紀」と規定しようという英歴史家ホブズボームの問題提起である。さらに、起点を1914年としつつも、後ろをバルカン紛争や9.11を含む内戦多発状況まで含めようという時代区分まで登場しているという。いずれにしても「第一次大戦」は「暴力と戦争の20世紀」の起点、という考え方が強まっていることを物語る。

 第一次大戦で新たに登場した兵器は航空機、毒ガス、鉄兜だといわれる。火薬・爆薬の主要原料である窒素についても、硫酸アンモニウムや硝石から抽出する方法に替わる空中窒素固定法の工業化に成功したドイツの技術力も、後の戦争の在り方に影響した(このあたりは山本義隆著「近代化一五〇年」でも触れており、参考になる)。

 日本にとっては「最少の努力で最大の戦功を得た」とされ、しかも関与したという歴史意識が薄い第一次大戦だが、こうしてみるとその後の日本を含めた戦争のかたち(国家総動員体制)と20世紀の在り方(暴力と戦争の時代)を考えるうえで避けて通れない出来事であったことは疑いない。

 ちくま新書、780円(税別)。


第一次世界大戦 (ちくま新書)

第一次世界大戦 (ちくま新書)

  • 作者: 木村 靖二
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2014/07/07
  • メディア: 新書

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