SSブログ

日本の近代化に科学技術は何をしたか [濫読日記]

日本の近代化に科学技術は何をしたか

 

「近代日本一五〇年 科学技術総力戦体制の破綻」(山本義隆著)

 

 著者はかつて東大闘争で全共闘代表を務めた。その後、獄中生活を経て予備校教師となり、「磁力と重力の発見」(全3巻、みすず書房、2003年)など、物理学者としての業績を残すとともに、「私の1960年代」(金曜日、2015年)など、闘争の日々を振り返った書も残した。「私の1960年代」の中で、山本はこう指摘する。

 大学闘争の中で、「東京帝大解体」をスローガンとして掲げた。これは、必然的に「国策大学」への批判とともに、日本の近代化の中で一体として体制内に組み込まれた科学と技術への批判へと向かった―(この項、asaによる要約)。

 日本では、科学と技術は一体のものとして扱われた。そうすることで、国家の近代化や軍事力強化に都合よく利用された。そして、それを担う人間を育成したのが「帝国大学」であった―。これが、1960年代後半に「大学解体」を唱えた全共闘の論理であった。

 山本はこの視点を掘り下げる形で20118月、つまり福島原発事故から半年後に「福島の原発事故をめぐって」(みすず書房)を世に問うた。この中で、原爆開発を行った米国マンハッタン計画とその後の科学技術プロジェクトについて「動員された学者や技術者はその目標の実現という大前提にたいしては疑問を提起するということは許されず、(略)課題の達成にむけて事故の能力を最大限に発揮することのみが求められた」と、科学技術と国家・体制の関係を明らかにした。

 つまり、近代日本において大学とは何か、科学技術とは何か、つづめて言えば、これらは国策と富国強兵の道具ではなかったか、というのは山本の半世紀に及ぶ一貫した問題意識であった。

 こうした観点と、明治維新から150年という歴史のタームを交錯させてまとめられたのが「近代日本一五〇年」である。

 この書の中で、最も特徴的な視点は、「科学技術と国家・体制」をベースに置きながら明治維新以降の150年を概括する中で、第一次大戦後、日本がとった総力戦体制は第二次大戦(アジア・太平洋戦争)を経てなお、戦後も続いた、という部分である。もっともこれは山本のオリジナルというよりジョン・ダワーが「昭和」で示した視点でもあるのだが、上部構造の変化によって戦前、戦中、戦後と分けたがる旧来の(特に戦後思想の中でよく見られる)歴史観とは違った視点を提示している、という意味では貴重であろう。

 書は明治維新によって開国を迫られた日本が福沢諭吉の「和魂洋才」を基本思想としつつ文明開化の時代を迎え、その中で帝国大学を整備し、帝国主義へと日本が邁進するさまを時代を追って描写する。そして前述した総力戦の時代に突入。敗戦を迎えるが、総力戦体制はそのままGHQと日本の支配層によって温存され、日本は驚異的な高度経済成長の時代を迎える―。

 興味深いのは、日本の資本主義化への歩みの中で、技術官僚の果たした役割への言及である。市民社会形成の過程で技術革新の担い手が生まれた西欧と違い、日本では市民社会誕生前に工業化の担い手として技術官僚が育成されたが、これらの予備群として士族出身者がいたという。彼らは、社会全体として見れば一定の知識層であるとともに組織に忠実なエートスの持ち主でもあった。こうした階層を近代化育成のための技術官僚として育てた結果、「一方では過剰なエリート意識と排他的な性格、他方では官僚的で組織や国家に対しては従順な性格を与えることになった」と分析する。これは、日本がなぜこれほど効率的に「富国強兵」という近代化をなしえたか、という一つの答えの提示であるとともに、今日なお「官僚制の弊害」にあえぐ日本社会への有効な批判でもあろう。日本の近代を読み解く興味深い一冊。

 岩波新書、940円。

 

近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)

近代日本一五〇年――科学技術総力戦体制の破綻 (岩波新書)

  • 作者: 山本 義隆
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/01/20
  • メディア: 新書

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。