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芸術家が聖人君子なんて誰が決めたか~映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」 [映画時評]

芸術家が聖人君子なんて誰が決めたか

~映画「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」

 

 ロダンといえば「考える人」や「地獄の門」「接吻」などが誰しも頭に浮かぶ。人間存在をめぐる哲学と愛と苦悩を骨太なオブジェに託した近代彫刻の巨人である。そのロダンを映画化した。稀代の芸術家だけに禁欲的で一途な生き様を想像しがちだが、スクリーンに表れた「ロダン」は違っていた。

 1880年のパリ。ロダン(バンサン・ランドン)は40歳にして国から作品を依頼され「地獄の門」を生み出そうとしていた。そこに弟子入りを希望するカミーユ・クローデル(イジア・イジュラン)が現れ、ロダンは心乱す。愛人関係となり、妻との間にさざ波が立ち始める…。

 考えて見れば、芸術家が清廉潔白、なんて誰が決めたわけでもない。喜多川歌麿がさまざまな女性と浮名を流したからといってだれも不思議とは思わないだろう。それどころか、そこらの芸人ではないが、「芸のこやし」というものだ。「地獄の門」での、人間の業の深さを見つめる目、「接吻」のにじみだすエロス、これらは決して聖人君子が生みだしたものではないのだ。

 結局ロダンのもとからカミーユは去っていくのだが、その後もロダンは俗世間の評判を気にしつつ、モデルの美女たちに囲まれ、時に挑発的なポーズを前にして舌なめずりをしつつ、きょうも新たな作品を生み出していくのである。

 ロダンをめぐる先入観を打ち破る、言い換えれば我々の思考のエアポケットをついた作品。監督ジャック・ドワイヨンの安定的で手慣れた手腕が光る。2017年、フランス。原題はただ「ロダン(Rodin)」。このほうが潔い。

ロダン.jpg


タグ:ロダン 映画
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