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再び同じ道に迷いこまないように~濫読日記 [濫読日記]

再び同じ道に迷いこまないように~濫読日記

 

「暗い時代の人々」(森まゆみ著)

 

 タイトルは、ハンナ・アーレントが1968年に著した同名著書によっている。そして、アーレントがこのタイトルを得たのは、ブレヒトの詩からだと自身の著書で明かしている。森もまた、巻頭にブレヒトの詩を掲げている。

 アーレントは「暗い時代の人々」の冒頭に18世紀のドイツ思想家レッシング論を置き、解題とした。アーレントは、公的領域が光を失ったとき、世界は極めてあいまいなものとなり、人々はそれを蔑視し、できる限り無視しようとすると指摘、そこに特殊な型の人間性が発展するとしている。こうした時代には、「真理」は人々の心の中にではなく、公共的な空間の外側にあり、それは人々を単一の意見に結び合わすような結果をもたらす、とも述べている。いわゆる全体主義の台頭である。

 森の書も同じ観点から書かれた。取り上げた人物像の背景にある時代は、森自身が1930年から45年までと規定している。例えば司馬遼太郎は明治維新から昭和初期までを「坂の上の雲」の時代として肯定的に評価し、参謀本部=鬼胎説を唱えて193045年を限定的に否定しようとした。坂野潤治は「日本近代史」で明治維新=革命、昭和維新(血盟団事件、515事件、226事件)を反革命と位置付けた。その歴史的評価の是非はここでは置くとして、この「暗い」15年間を生きた人々の時代と個人のありようを描き出したのが、森の書である。

 森が取り上げたのは9人である。顔ぶれは多様で、基準はよく分からない。粛軍演説の政治家であったり、社会主義運動の女性活動家であったり、画家であったり、唯物論研究の哲学者であったりする。ただ、底流で共通するテーマは先にあげた通り、「(暗い)時代と個人」である。

 このうち、斉藤隆夫を取り上げた章では、印象に残る記述が二つあった。一つは、松本健一からの引用だが、「政党政治を破壊する役割を担ったのは、(略)まず政党それじたいであった」という指摘。いま一つは、粛軍演説の中の「一体支那事変はどうなるものであるか(略)国民は聴かんと欲して聴くことができず」というくだりである。いずれも、現代の政治状況とも共通する視点であるように思う。

 このほか、京都の喫茶店を拠点に「土曜日」という反ファシズム紙を出し続けた斎藤雷太郎にまつわる章が面白い。おそらく、著者自身が「谷根千」という地域雑誌を編集していたことからも、一段の関心を持ったためであろう。フランス人民戦線機関紙「ヴァンドルディ(金曜日)」から書き起こし、記述にも力が入っている。あの時代、反ファシズムを掲げて赤字を出さなかったというから驚きだ。この精神は戦後、鶴見俊輔らによる「思想の科学」にも受け継がれているという。

 あとがきで書いているように、「再び同じ道に迷いこまないように」というのが著者の偽らざる気持ちであろう。アーレントがいう「公的領域が光を失ったとき」に、かすかながら光をともそうとした人々の記録である。

亜紀書房、1700円(税別)。

暗い時代の人々

暗い時代の人々

  • 作者: 森 まゆみ
  • 出版社/メーカー: 亜紀書房
  • 発売日: 2017/04/14
  • メディア: 単行本
 

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