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やはり戦場に赴くことを拒否すべきでは~映画「ハクソー・リッジ」 [映画時評]

やはり戦場に赴くことを拒否すべきでは
~映画「ハクソー・リッジ」

 

 非暴力主義に立ち、良心的兵役拒否を貫きながらも祖国愛から志願し、衛生兵として従軍。沖縄戦で75人の米兵を救ったとされる実在の人物を描いた。

 「なんじ殺すなかれ」という宗教的な教えを固く守るデズモンド・ドス(アンドリュー・ガーフィールド)は祖国への忠誠を誓い、第2次大戦で陸軍を志願。しかし、銃を持つことを拒否し、軍法会議にかけられる。周囲の助けもあって信念を理解されたドスは、武器を持たず前線に赴くことを許される。そこは1945年5月、日本本土決戦を控えた沖縄だった。

 ハクソーとは弓のこぎり。沖縄の浦添城址にある前田高地の地形を見て米軍が名付けた。沖縄戦では本島の北谷海岸に米軍が上陸、南へ転じ嘉数高地、前田高地を攻撃した。さらに南には首里城があり、そこには日本軍の司令部があった。日本軍にとって前田高地は落としてはならない拠点だった。必然的に前田高地をめぐる戦闘は激烈を極めた。日本軍もだが、米軍にも多数の死傷者が出たとされる。しかし、負傷者を後衛に送り返すにはハクソー(弓のこぎり)と呼ばれる急峻な地形がネックになった。そこでドスがとった行動は…。

 ドスがどのような精神形成期を経たかを追った前半の牧歌的な運びと違い、後半はトゥーマッチとも思える血なまぐさいシーンが続く。良心的兵役拒否者が戦場での働きによって後に大統領から名誉勲章を受けるに至るという、針の穴を通すようなストーリー展開からすれば、この凄惨なシーンは必要だったのだろう。

 沖縄戦体験者ではないので、これらのシーンがどこまで史実に忠実かどうかは断言できない。浦添市のホームページなどを見る限り否定的なコメントはないが、一方で沖縄戦の実態とはかけ離れている、という声も聞く。それらを踏まえたうえで、いくつかの基本的な疑問を呈する。

 沖縄戦にあたって、日本軍は防衛拠点を築くべく戦艦大和を向かわせたが、米軍機の集中攻撃によって鹿児島沖で撃沈され、制空権、制海権は完全に米側が掌握していることが立証された。事実、沖縄本島上陸に当たっては「鉄の暴風」と呼ばれた大量の艦砲射撃が行われ(地形まで変わったといわれる)、その後、米軍が上陸した。制空権も米側にあったはずだから、米機による援護もあったと思われる。こうした一方的な戦況下、日本軍は住民を巻き込み、ガマ(壕)に潜んで米軍を迎え撃つという戦法(住民を盾にする戦法)が主力だったと思われるが、その描写がない(その前に、米機による援護射撃のシーンがない)。これは意図的なものなのか。

 前述したように、衛生兵ドスの勇敢さと功績を浮き彫りにするには、まず戦場の凄惨さを強調する必要があり、日本軍の抵抗がどれだけ頑強であったかを描く必要があったということだろうか。そうだとすれば、少なくとも、戦場で英雄的な行動をした一人の衛生兵に焦点を当てた、あくまでも米国サイドの視点で作られた作品という見方はできるだろう。

 もう一つ言えば、ここまで良心的兵役拒否を貫くのであれば、最終的に兵役につくことを拒否してもらいたい。自らは銃を持たずとも、戦場では後衛として「功績」をあげることで、戦争(=殺し合い)に加担したという批判は逃れようもないからだ。実在の人物を追ったとはいえ、やはりそこに作品の限界があると思う。

 監督メル・ギブソン、2016年、米国。


ハクソーリッジ.jpg

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