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戦場から虚無の世界へ~濫読日記 [濫読日記]

戦場から虚無の世界へ~濫読日記

 

「大岡昇平 文学の軌跡」(川西政明著)

 

 むかし、雑談をしていて大岡昇平の「レイテ戦記」に話が及び「これだけ詳細に戦場を描いていながら女性のこと(「慰安婦」のこと)が出てこないのはなぜだろう」という指摘を聞いたことがある。確かに、戦記文学の最高峰といっていい「レイテ戦記」には「戦場にいた女性」のことが書かれていない。しかし、それを「不思議なこと」とは思えなかった。どこか大岡の作家としての資質に由来するのではないか、という感覚があった。

 文芸評論家・川西は最近、「新・日本文壇史」を書き終えた。「大岡昇平 文学の軌跡」は川西の遺稿とされる。「新・日本文壇史」の流れを引き継いでいるせいか「大岡昇平」も作品論、文学論というより文壇における大岡の生きざまを浮き彫りにした、という印象が強い。「出生の秘密」から書き出し、中原中也、小林秀雄らとの疾風怒濤の日々から、戦争体験と「野火」「俘虜記」の執筆過程へと向かい、終わり近くである女性のことに多くのスペースを割いている。

 「出生の秘密」によると、紀州の地侍の血を引く大岡の父は株屋になり、浮き沈みの激しい人生を送ったという。そんな中で「芸妓と遊客」が、後の大岡の父母になった。10代でそれを知った大岡は衝撃を受けたという。このことが、彼の女性像を形成する原体験になったと、川西は書いている。女性に対するこうした複雑な視線が「戦場の女性」を描くことを拒絶させたか、あるいは書くという行為へと向かわせなかったのではないか。

 この書の後半に出てくるのは坂本睦子という女性である。川西は「昭和文壇史に妖女のように君臨した」と書く。10代で上京、文藝春秋地下のレストランで働いていたところ直木三十五、菊池寛、小林秀雄らと関係を持ち、戦後復員してきた大岡とも付き合う。大岡が睦子との日々を小説にしたのが「花影」である。

 複数の男を渡り歩きながら決して男を愛することがない。そして最後には死を選ぶ。そうした虚無感を緻密な心理描写と構成で浮き彫りにした。1958年に「中央公論」に連載開始、61年に刊行された。ちなみに「俘虜記」刊行が48年、「野火」が52年だった。大岡は戦場文学から60年安保には向かわず、虚飾と虚無の世界の中で自死した一人の女性の生きざまにまなざしを向けたのである(「レイテ戦記」の「中央公論」連載は6769年)。

 大岡が、戦争体験から政治的変革の方向へ向かわず、市井の一女性の内面へと向かった軌跡は一見不思議であるが、考えてみればこちらのほうが「戦後」の心象風景の主流ではなかったか。あるいは、逆説的に言えば「花影」で描かれた虚無感と断念こそが、戦後日本を経済大国へと突進させた原動力ではなかったか。

 「花影」にはこんな会話がある。

 「死んじゃいけないよ」と松崎はいった。

 「ううん、あたし死ぬわよ。それは、きまっているの」

 「ばかはおよし。桜はまだ咲いている。来週また来るから、それまでは、死なないと約束してくれないか」

 「松崎」は大岡自身の投影である。

 「花影」の解説で小谷野敦は、芸術院会員に推薦された大岡が捕虜となった過去をあげて辞退したことに触れている。社会と一線を画して安んじることへの拒絶が透けて見え、興味深い。背後にあるのは戦場の死者たちとの黙契である。虚無に彩られたはかなさへの共感と、死んでいった者たちの視線を背負い込んだ怒り。ここに小説家大岡昇平の肖像がある。

大岡昇平: 文学の軌跡

大岡昇平: 文学の軌跡

  • 作者: 川西 政明
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2016/12/19
  • メディア: 単行本
花影 (講談社文芸文庫)

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  • 作者: 大岡 昇平
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2006/05/11
  • メディア: 文庫



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