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いつまで続く政治の荒野~社会時評 [社会時評]

いつまで続く政治の荒野~社会時評

 

◆2回生議員の不祥事相次ぐのはなぜ

 既に多くのメディアで報道されているが、自民の当選2回組の不祥事が相次ぐ。それも信じられないものばかりだ。「週刊新潮」6月29日号(6月22日発売)は豊田真由子議員(埼玉4区)による、秘書へのパワハラを報じた。秘書のミスを異常ともいえる言葉遣いで叱責。音声データも公開されたため、逃れられない物証となった。傷害、暴行、脅迫などの容疑で立件もうわさされている。東京の有名女子高から東大法学部、厚生省、ハーバード大学院と典型的な学歴エリートのようだが、人間エリートではなかったようだ。

 豊田議員が自民に離党届を出したことが報じられた6月23日付の中国新聞は、中川俊直議員(広島4区)がお詫び行脚のため地元入りしたと伝えた。愛人との重婚疑惑写真、ストーカー騒ぎなどスキャンダルの詳細は「週刊新潮」4月27日号(20日発売)に掲載、発売直前の18日に経産政務官を辞任、21日には自民党を離党。それからおよそ2カ月ぶりに姿を現した。支援者にお詫びして回るからには、なお国会議員を続ける意思があるということだろう。そのほかの不祥事は、書くのもばかばかしいのでネットで調べていただきたい。

 共通するのは「国会議員として」という以前に「人間として」「市民として」いかがなものか、と思わせることだ。国会とは国民を縛る法律をつくるところ。その任に当たる人が人間性に疑問を持たれてはならない。

 この疑問は政権トップにいる安倍晋三首相にも当てはまる。森友学園問題に続く加計学園問題でも、先頭に立って疑惑の解明を行おうとしない。そうした姿に業を煮やした文科省内部から疑惑を裏付ける文書が出れば文科省を攻撃する。一連の疑惑を追及した野党議員には根拠もなく「印象操作」という。今国会で最も「印象操作」を行ったのは誰か。戦争法を平和安全法と呼び、森友学園疑惑では本筋の国有地払い下げ問題ではなく籠池泰典前理事長の補助金詐欺容疑で国会閉幕直後に強制捜査を行わせ(捜査を決めたのは大阪地検特捜部だが、籠池氏自身がいうように「国策捜査」の色合いは否めない)、加計学園疑惑で重大証言を行った前川喜平・前文科事務次官については出会い系バー通いを官邸の広報紙である読売新聞に報じさせた。野党を非難する前にわが身を振り返ってもらいたい。

 

◆「人」を選べない小選挙区制

 なぜ、こんな政治の荒野が出現したか。最大の原因は小選挙区制にある。そこには二つの側面がある。小選挙区制が「定員1」であることから死に票が多く、必然的にバイアスがかかるためバブル現象が起きやすいこと。もう一つは、あまり指摘されていないが、小選挙区制は人ではなく党を選ぶ選挙であるということ。中選挙区なら、複数の立候補者のうち人間がすぐれていると思われる候補に票を入れることが可能だが「定数1」では人を選べない。

 なぜこんな制度を選択したか。中選挙区では「政治にカネがかかる」ことが問題視され、その原因が選挙区への過剰なサービス合戦にあるとされたからだ。そこで、サービスや利益誘導ではなく、政党の政策を選ぶことが優先された。その分、人への評価の視点が抜け落ちた。

 2回生議員が初当選したのは2012年、野田佳彦政権による「近いうち解散」による総選挙だった。その前の総選挙で民主党が圧勝し政権を取ったが、不慣れで稚拙な政権運営に世論の不満が高まり、風向きは自民政権復活に向かった。そうなると、票を入れるほうは「党」優先、「人」は二の次になる。小選挙区は党も人も選ぶという制度ではないのだ。

 

◆小沢一郎発言への違和感

 小選挙区制度を実現させたのは、小沢一郎氏である。「AERA」6月26日号が小沢氏にインタビューしている。彼は、英国の選挙制度を念頭に置きながら、自由主義批判を軸にすれば反安倍連立政権は可能といっている。そのうえで2大政党制が実現しないのは国民の自立心の欠如、自己主張のなさによる、とした。

 それほど簡単なことだろうか。支配する国王と支配される国民(議会)を関係づけた英国の立憲君主制と、支配しない王(天皇)と民衆を関係づけた日本の立憲君主制は同列には論じられないように思う。何より、英国の王と議会の間にある「公共」の意識が、日本にはない。このこと一つとっても、小沢氏の発言には違和感がある。

 

◆「一強体制」は張り子のトラ

 安倍一強体制は政・官・マスコミ支配によって成り立つが、このうち政治の支配は自民の圧倒的な勢力図によってもたらされている。しかし、それは「数」という表面だけでのことで、内実は空洞化している。だからこそ安倍政権は言論によってではなく、ただ「数」によって問題を解決しようとする。

 こうした中で、加計学園疑惑で出てきた数々の文書の内容を否定して回っているが、そうした政府答弁の方が間違いだったと次々に明らかになっている。例えば「指示は藤原(豊・内閣府)審議官曰く、官邸の萩生田(光一・官房)副長官からあったようです」のメールに添付された手書きメモの件。6月16日の参院予算委で山本幸三地方創生相が「陰で隠れて本省にご注進した、というようなメール」と担当職員を切り捨てたが、実は当該職員は他の省庁との連絡役を務める正規の担当者だったと6月21日付朝日が報じた。これが事実なら、連絡役の内閣府職員が、手書きメモの指示者が大臣か内閣官房副長官かを間違うだろうか。こんな基本的な事実を間違うようなら、この職員は無能というほかない。

 文科省が作成した「萩生田副長官ご発言概要」についても、萩生田氏自身は内容を否定するが、では官房副長官が高等教育局長を訪れてどんな話をしたのか。安倍首相が常々言うように、政策決定過程に一点の曇りもないのであれば、その内容は公にできるはずだ。それが「何か指摘があればその都度、真摯に説明責任を果たしていく」(6月19日の首相会見)ことになる。そのうえで、重なる部分があるのかないのか、どちらの言い分が正しいか、判断するのは国民である。もっとも、文科省職員が高等教育局長に聞いたと称して、根も葉もないフィクションを文書にして担当者の間に回すなどということは考えられないことだが。

 

◆解決策は…

 「悪法も法なり」という。選挙制度に欠陥があろうと、不正がない限り選挙結果は選挙結果である。そして、選挙制度に正解はないといわれる。選挙制度は民意を集約するためのツールにすぎない。どういった選挙制度がその国の国民に合っているかは、判別がむつかしい。そのうえで、その国の「体形」に合わせた選挙制度が求められる。今の日本の政治的不幸は、体形に合わない洋服を着せられていることが半分、トップにいる政治家が自分の言葉や振る舞いに酔いがちな、独裁者的気質を持った人間であることが半分あると思われる。

 ではどうすれば、この惨状から脱出できるか。残念ながら安倍首相は、制度の良しあしを別にすれば日本の政治システムの中では、正統な手続きを経て今の地位にある。その首相を降ろすには、基本としては選挙によって降ろすしかない。

 現行制度下で、あくまで選挙で政権交代を、という正面作戦を取るのであれば、小沢氏がいうように共産を含めた反自民連立への道しかないだろう。

 ただ、ほかに展望がないわけではない。世論調査の内閣支持率がさらに下がることが条件である。全メディアで30%台に落ち(20%台が望ましいが)、不支持率が支持率を上回れば自民党内が動揺する。党内で権力闘争が起き、政権が代わる可能性がある。政権交代が起きないという意味では不満の残るストーリーだが、現時点ではこの筋書きが現実性があると思われる。


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